熊本地震 派遣前 [おしごと]
熊本に、関連の現地医療機関の支援に行くことになった。
宮城の支援の時に手を挙げなかった自分が情けなくて、今回は、機会があればと申し出ていた。
勤め先の全国的なネットワークを「利用」すれば、ある程度会社任せで行ける環境にあるのだということに気づいたりして。
当初、関東には支援要請はなかったようだが、長期化のため全国に拡大し、自分にも声がかかった。
妻には話してあった。
日程的に娘の運動会が重なったため、2日がかりで理解を得た。
そういう事情のなかった息子には事後報告的になってしまったが。
いざ派遣の日が近づいてくると、手を挙げはしたけれど声がかからなかった、が気持ちの上で一番楽だったのかな、などと思ってみたりして。
東日本の時のように、自らが家の片づけをしたり、買い物に困ったり、偶然に家族が近くにいない心細さがあったり、原発事故があったりということはないけれど、地震直後のたびたびの余震や、回を重ねるうちに緊急地震速報よりも眠気がまさってきたこと、地震なのか自分が揺れている気がするだけなのかよくわからなくなってきたことには、今回も遭遇するかもしれない。
1か月ほどの間、支援者のけがといった話はきかないけれど、大きい余震が再来する可能性はゼロではない。
いまさら、ここ数日は子どもが寝る時間に合わせて一緒に寝たりして。
早いもので12年目、駆け出しどころか中堅の域に入った自分ではあるけれど、子どももお年寄りも診ているけれど、今、外科医が行ってどれほどお役にたてるだろうか。
果たして方言が聞き取れるんだろうか。
心の不調を訴える方の話をしっかり聞いてあげられるだろうか。
こういう心理状態も含め、一つの経験ととらえることもできる。
でも、自分の思いを支えてくれる家族、自分自身のストレスは想像以上だった。
たまたま、とか言ってお守りを買ってきてくれたけど、全然たまたまとは思えない。
あぁ、「自己実現」のためにまた家族に心配かけちゃったなぁ・・・。
職場のみなさんも心配してくれてるけど。
支援者の心得でもあるわけだけれど、しっかり体調管理する。
命懸けない。二次災害は不幸を増幅するのだもの。
で、現地スタッフの負担を少しでも軽減できるように、自分の持てる力を発揮する。
なんだかなぁと思うけれど、それが現実的な目標。
宮城の支援の時に手を挙げなかった自分が情けなくて、今回は、機会があればと申し出ていた。
勤め先の全国的なネットワークを「利用」すれば、ある程度会社任せで行ける環境にあるのだということに気づいたりして。
当初、関東には支援要請はなかったようだが、長期化のため全国に拡大し、自分にも声がかかった。
妻には話してあった。
日程的に娘の運動会が重なったため、2日がかりで理解を得た。
そういう事情のなかった息子には事後報告的になってしまったが。
いざ派遣の日が近づいてくると、手を挙げはしたけれど声がかからなかった、が気持ちの上で一番楽だったのかな、などと思ってみたりして。
東日本の時のように、自らが家の片づけをしたり、買い物に困ったり、偶然に家族が近くにいない心細さがあったり、原発事故があったりということはないけれど、地震直後のたびたびの余震や、回を重ねるうちに緊急地震速報よりも眠気がまさってきたこと、地震なのか自分が揺れている気がするだけなのかよくわからなくなってきたことには、今回も遭遇するかもしれない。
1か月ほどの間、支援者のけがといった話はきかないけれど、大きい余震が再来する可能性はゼロではない。
いまさら、ここ数日は子どもが寝る時間に合わせて一緒に寝たりして。
早いもので12年目、駆け出しどころか中堅の域に入った自分ではあるけれど、子どももお年寄りも診ているけれど、今、外科医が行ってどれほどお役にたてるだろうか。
果たして方言が聞き取れるんだろうか。
心の不調を訴える方の話をしっかり聞いてあげられるだろうか。
こういう心理状態も含め、一つの経験ととらえることもできる。
でも、自分の思いを支えてくれる家族、自分自身のストレスは想像以上だった。
たまたま、とか言ってお守りを買ってきてくれたけど、全然たまたまとは思えない。
あぁ、「自己実現」のためにまた家族に心配かけちゃったなぁ・・・。
職場のみなさんも心配してくれてるけど。
支援者の心得でもあるわけだけれど、しっかり体調管理する。
命懸けない。二次災害は不幸を増幅するのだもの。
で、現地スタッフの負担を少しでも軽減できるように、自分の持てる力を発揮する。
なんだかなぁと思うけれど、それが現実的な目標。
2016-05-19 05:04
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