俺はいい医者でしたか? [お医者のキモチ]
プライバシーであったり、自分の気持ちの整理であったり、下書きのままで置いておいたけれど、ゆうに5年以上たったので、この記事をあげようと思う。
加筆修正はいらないようだ。
偉そうなようだけれど、自分が抗えないと感じたときが、患者さんの救命、延命治療が終わるとき。医者が諦めてはいけない、ことは肝に銘じている。患者さんによりよい最期を迎えてもらうことも仕事の一つだけれど、Best Supportive Careへの移行を決断するのは、つらい。
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3年ほどのお付き合いの患者さん。
自分が駆け出しのころに手術させていただいて、その後ずっと診てきた方。
ときどき「勉強だから」、「勉強のために」っておっしゃっていた。
長いこと、自分は本で勉強して、上司と相談して、そのうえで治療してるのにな、って思ってきた。
実際、患者さん自身も「いろんなことが初めての経験だからね、勉強になるなって思ってる」っておっしゃってたし。
元気な時から、「先々」の相談をしていた。
できるだけ家で過ごしたい。いわゆる延命処置は受けたくない。
症状緩和が主体になってきて、いよいよ通院が難しくなってきたとき、通ってくるのは大変そうだからと往診を勧めたけれど、「センセー以外の人が来るんだったら嫌」っておっしゃった。
「じゃあ私が行きます」って答えた。(上司がときどき往診してるので)
往診なんて、研修医の時の診療所研修ぶり。
往診車に揺られながら、「俺はいい医者でしたか?」なんて考えた。ちょっと自己陶酔した。
大学病院やがんセンターに、治療から在宅緩和ケアまで一貫して診る医者はいない(そもそもそれを求めるべき病院ではない)。
一流の最先端ではないけれど、地域の病院にしかできないいいところがある。
病院でみる患者さんはかなりつらそうにしていたけれど、おうちにうかがったらいい顔してた。
そう思ったのだけれど。
もうそう長くはなさそうなので毎週伺うことにした矢先、あることがきっかけですっかり表情が良くなった。
「それ」ひとつでこんなに元気を取り戻すものか、って驚いた。
食べられなくなってから1か月ほどして、
食事中に家族が揉め事をするのが嫌。せっかく食べられるんだから、楽しく食べてほしいって。
消化器の医者として「口から食べる」ことにはこだわりをもっているけど、食べられればそれでいいじゃなくて、楽しいって、大事。
実際には、俺はこの人に手術も、抗癌剤の使い方も、最後は在宅医療まで教えてもらったのだった。
むしろ、俺はこの人の命を救えなかったんだろうか、なんとかやりようはなかったんだろうか、という悔しさが芽生えてきた。
いまさら。
最初から最期までご本人の望むことを直接本人から伺えて、それに沿ってケアできて、よかった。
この世の中のthe bestだったかどうかはわからないけれど、自分の思うbestを信じてくれた。
一方で、打てる手にはどうしても限界があるけれど、新しい「手」を学んだり、うまく駆使したりっていうこともきちんと追求していかなければっていう気持ちも新たにした。
加筆修正はいらないようだ。
偉そうなようだけれど、自分が抗えないと感じたときが、患者さんの救命、延命治療が終わるとき。医者が諦めてはいけない、ことは肝に銘じている。患者さんによりよい最期を迎えてもらうことも仕事の一つだけれど、Best Supportive Careへの移行を決断するのは、つらい。
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3年ほどのお付き合いの患者さん。
自分が駆け出しのころに手術させていただいて、その後ずっと診てきた方。
ときどき「勉強だから」、「勉強のために」っておっしゃっていた。
長いこと、自分は本で勉強して、上司と相談して、そのうえで治療してるのにな、って思ってきた。
実際、患者さん自身も「いろんなことが初めての経験だからね、勉強になるなって思ってる」っておっしゃってたし。
元気な時から、「先々」の相談をしていた。
できるだけ家で過ごしたい。いわゆる延命処置は受けたくない。
症状緩和が主体になってきて、いよいよ通院が難しくなってきたとき、通ってくるのは大変そうだからと往診を勧めたけれど、「センセー以外の人が来るんだったら嫌」っておっしゃった。
「じゃあ私が行きます」って答えた。(上司がときどき往診してるので)
往診なんて、研修医の時の診療所研修ぶり。
往診車に揺られながら、「俺はいい医者でしたか?」なんて考えた。ちょっと自己陶酔した。
大学病院やがんセンターに、治療から在宅緩和ケアまで一貫して診る医者はいない(そもそもそれを求めるべき病院ではない)。
一流の最先端ではないけれど、地域の病院にしかできないいいところがある。
病院でみる患者さんはかなりつらそうにしていたけれど、おうちにうかがったらいい顔してた。
そう思ったのだけれど。
もうそう長くはなさそうなので毎週伺うことにした矢先、あることがきっかけですっかり表情が良くなった。
「それ」ひとつでこんなに元気を取り戻すものか、って驚いた。
食べられなくなってから1か月ほどして、
食事中に家族が揉め事をするのが嫌。せっかく食べられるんだから、楽しく食べてほしいって。
消化器の医者として「口から食べる」ことにはこだわりをもっているけど、食べられればそれでいいじゃなくて、楽しいって、大事。
実際には、俺はこの人に手術も、抗癌剤の使い方も、最後は在宅医療まで教えてもらったのだった。
むしろ、俺はこの人の命を救えなかったんだろうか、なんとかやりようはなかったんだろうか、という悔しさが芽生えてきた。
いまさら。
最初から最期までご本人の望むことを直接本人から伺えて、それに沿ってケアできて、よかった。
この世の中のthe bestだったかどうかはわからないけれど、自分の思うbestを信じてくれた。
一方で、打てる手にはどうしても限界があるけれど、新しい「手」を学んだり、うまく駆使したりっていうこともきちんと追求していかなければっていう気持ちも新たにした。
2019-03-27 23:04
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