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広島・長崎5日目 長崎2 [旅]

フロントで路面電車の1日乗車券を買って、出島へ。
一方は川、他三方は道路に面してました。
いろいろ復元してました。
長期的には、国道を変行するなど周囲に手を加えて、もともとの出島の姿を復元するのだとか。

その後、再度中華街に行って食べ歩き。
のつもりがほとんどの店が開店前で角煮まんと豚まんのみ。
電停近くの飲み屋の「朝食」を食べた。

一旦ホテルに戻って、だらだらして、チェックアウト。

長崎駅で荷物を預ける。

ただでさえ暑いのに、こっちまで汗かきそうです。

長崎市永井隆記念館へ。
戦時中長崎医大の医師であった永井隆博士は結核予防の検診に従事し、放射線を多量に被爆して慢性骨髄性白血病を発症。
そんな中で勤務中に原爆を投下されて救護に従事、3日目帰宅すると自分の後を守るはずだった妻は亡くなっていた。
隣人が2畳一間の家を建ててくれ(如己堂)、いよいよ身動きならなくなった博士は、平和を祈り、執筆を通じて医学に貢献し続けた。

被爆によって倒壊した浦上天主堂の鐘楼

キリシタンたちがひとつひとつ積み上げたレンガが、一瞬のうちに崩れました。
後ろが再建後の浦上天主堂

怒りの広島、祈りの長崎という言葉は、長崎に長く根付いてきたキリスト教の原爆に対する受け止めを示しているとのこと(ネットで見たらキリスト教、「祈り」は少数派との見解あり)。

長崎原爆資料館へ。
老若男女、みなさん食い入るように、すみずみまで、ご覧になっていました。
非戦闘員を無差別に死傷させ、数十年にわたって苦しませて続けている兵器の使用は許すことができません。
科学者が原爆投下はやめるべきだ、予告なく投下すべきでないと主張していたこと、当時の情勢から日本は原爆を投下しなくても降伏していたという連合国側の調査を目にすると、悔しさに震えずにはいられませんでした。
広島平和記念資料館にも、核実験が繰り返されるたびに広島市長が送った抗議の電報がそれこそ「ずらーっと」展示されています。
悲劇を繰り返してはならないという思いは、核の傘に入っている日本も含めて、世界の共通認識にならないものでしょうか。

原爆落下中心地を経て、平和公園

刑務所の跡地で、遺構が残っています。
平和祈念像

祈りの場所で無邪気に水遊びする極東アジア人にムッとしつつ。
被害国の方であっても、加害国で何をしてもいいわけがない。

山王神社の一本柱鳥居

の手前の日本で一番短い?駐車禁止区間

長崎駅に戻り、皿うどん、ちゃんぽんを食す。おいしかった。
空港行きのバスに乗って長崎空港へ。
羽田空港へ。
そして現実へ。


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