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皆さんに感謝 [今日のできごと]

相方が子どもたちを連れて実家に帰っている間になにがしかをするのが恒例。
押入れの整理であったり、冷蔵庫の掃除であったり、「すみっこ」の掃除であったり。

今回はシーツ類を洗ったり、カーテンを洗ったりしてみた。
もう一つはアルバムの整理。
以前いただきものの写真をアルバムに整理したら、上の子はまだましだけれど、下の子は赤ちゃんからいきなり幼稚園児になってしまったので。   何年分だよ・・・

手始めにPCからDVDに画像を移した。
プリントする画像を選んだ。デジカメの時代、いっぱいあって大変。
節目と、イベントと、可愛く映ってるのを重視。
見返す機会はきっとそう年中はないから、生い立ちの紹介に困らないような写真を選んであげたいな、と。
数うてば、うまく映ってるのも結構あった。

まだ妻方初の甥っ子が数か月前に生まれたばかりということもあって、義父母、義弟とどんな写真を撮ったのかって正直言って興味を持ってみる機会はなかった。
孫が可愛いのはある程度当然として、自分が結婚する以前に自分方の甥っ子を可愛がったのと同じように、義弟たちもうちの子たちのことを本当に可愛がってくれていたんだなぁ、ってことに今更気づいた。
ってことは伯父さん伯母さんにとって、きっと自分は可愛いい○○ちゃんだったんだろうなぁ、なんてことに35年ぶりに気づいた。

大変だけど、いい機会だった。
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6才、7才 [今日のできごと]

息子の運動会。
年長さんの定番演目で、わが子が「基準」(端っこだったり、動き初めだったり)をつとめた。
いつまでもただのやんちゃ坊主じゃないんだなぁ。
リレーも追い上げ、追い越しをみせてくれた。

幼稚園のお祭りでは賞品の剣を5本獲得。
ベルト通しにかけたり、背中にさしたり、二刀流したりで、とにかく5本持ち歩く。
たぶんこれからもクラス替えのたびに「行きたくない」っていうけど、みんなとなかよく遊んでいて安心した。



1週間後にピアノの発表会を控えた娘(小2)が、教室に行くのを拒否。
怒られるとか、先生が怖いとか、そういうことではないらしい。
去年はいつになったら火がつくやら、って思ってる間に発表会を終えてしまったので、成長したなぁ。

と思ったけど、通しで、うまくいった!完璧!というところをきくことなく、今年も発表会突入。
本人もさることながら、みているこっちも緊張。
2曲目で2回止まってしまったけど、結構上手だった。
他のお子さんの発表をきいていても、小学校低学年ってこんなものらしい。
ピアノ、当面は続けるということなので、今後に期待。

またあう日まで [今日のできごと]

3月に書いていた記事。


送別会シーズンのこのごろ。
自分も今回送られる側として6回もお招きいただきました。
そこそこの勤続年数の外科医となれば関連部署も少なくなく。

先日は一連の送別会のファイナル。
散会が告げられるそのときまでは、ふだんと変わらず、マイペースに食べて飲んでしていました。

いざ出ようとしたら、同期がトイレにうずくまって出てこないらしく。

結局一緒にタクシーに乗り込んで、彼を自宅に送り届けるハメにあいました。

選んだ科は違えど、7年間ずっと支え合ってきた仲間。
なんで最後がこうかなぁ、って思いつつも、玄関では思わず抱きついちゃいました。
そして、駅近くの人目につく通りに出るまでは泣きました。
むしろ、互いの存在に影響され続けつつも、お互い子どもも生まれて遊ぶ機会も減った彼と、最後の最後に一緒に過ごす時間を与えてもらえたんだって。

・・・結局その後連絡はなく、タクシー代も返ってこなかったけど・・・。


お世辞にも愛想がいいとはいえない自分に、たくさんの人が「帰ってきてね」って言ってくれました。
手術がたくさん経験できる新しい病院が楽しくなる可能性もあるし、逆にもとの病院が恋しくなるかもしれない。
もとの病院にしても、いっぱいいっぱいだから早く帰ってきてっていうかもしれないし、逆に4月から来るDr.がやり手だからしばらくいいよって言われちゃうかもしれない。
帰る場所があるのはとっても心強いことだなぁと思う。

4月からは出身大学の関連病院で研修(といっても身分の上では常勤)。
いろんなことを吸収したい。
、と追記した2012.04.17.。

新年を迎えて [今日のできごと]

今年も変わらず、新しい1年が始まりました。

年末に「うち」方の親戚大集合。
甥、姪が生まれて、両親、きょうだい3人とその連れ合い、子ども世代7人の総勢15人。
子どもたちは昼寝もせずに大はしゃぎ。

実家を2世帯住宅にする話が具体化していて、そうすると遺産の分配はどうするとか。
そうそう全員集まれないだけにそんな疲れる話題もあったり。

連日わーわー、きゃーきゃー、えーんえーんで、楽しかったけど、疲れました。
自分は仕事でいなかったりしたけど、ずっと付き合ってくれた両親や、嫌がらずに親戚付き合いしてくれる相方はさぞかしお疲れと思います。
本当にありがとう。
(現に今自分がPCに向かっていられるのは、相方も子どもたちも「果てて」昼寝しているからです)


今年も変わらず、実家でおせちを食べて、初詣して、お墓参りして、お昼にお餅を食べて帰ってきました。

去年だって、今年も平穏な1年でありますように、みんなが健やかでありますように、ってみんなが願ったはずなのに。
神も仏もないんじゃないかと思いつつも、やっぱり願わずにはいられません。

スーパーの照明が薄暗いままだったり、本当に放射能は大丈夫なのかと心配したり、子どものことを考えると農作物の産地に目が行かざるをえなかったりくらいで、生活の中で震災を強く意識することは減ってはいます。
でも、折に触れて、たまたま家族と離れていてすごく心細かったことや、テレビ画面を直視できなかったこと、明日の通勤手段を心配しなければならなかったこと、ペットボトルの水が1本しか買えなかったこと、家族が帰ってくる日にお好み焼きの材料をカートいっぱいに買ったうれしさなどなど思い出します。

今年も、これからも、当たり前のようなことを大切にして、1日1日を暮らしていきたいと思います。





七五三 [今日のできごと]

異動予定を詰めたり、週1日研修に出ていたりで、もううしばらく前のことになりますが。


先日は娘の術後1年半の受診でした。
例によって市街地で遊んで、前泊して。
今となっては、思いがけず何度も行くことになった思い出の街です。
小路に入って、坂を登ると宿泊施設、そして病院。
病院に近づくだけで、たくさんの家族の願いをぐっと感じて切ない気持ちになります。

宿泊施設には、主に長期入院の患児のお母さんたちが寝泊まりしています。
うちは患者といえども至って元気。ドタドタ歩くし、元気に遊ぶし、申し訳なかったです。
次回からは通いかホテルかな。

検査は問題なし。
遠方なので、次回は小学校に上がる前で大丈夫でしょう、とのこと。

治療方針や予後がわからず不安で涙したこと、方針が決まってホッとしたこと、長時間の手術に本人も親もがんばったこと、忘れえない記憶です。
本当にお世話になっているDr.に感謝しています。


娘が七五三を迎えました。ってこれも1ケ月以上前のことですが。

申し込むのが少し遅めだったので、午前中最後の組でお祓いを受けることになりました。
前までの組はなんとか入りきるくらいたくさんいたのが、遅かったおかげで神殿に入ったのはふた家族のみ。
神主さんものんびりと時間を割いて下さって、お祈りすることができました。
これまで育ってきたことに感謝し、これからも健やかに成長することを祈るというのが、そもそものところだそうです。って言うまでもないことでしょうが。
受診から間もなかったこともあって、この日を迎えられたことに感激、深く感謝しています。





お呼ばれの結婚式 [今日のできごと]

先日、職場の先輩に結婚式に招待していただきました。
ちょっと久しぶりのお呼ばれ。

おふたりの慣れ染めにちょっと自分自身の接点があったり、彼ららしいお付き合いのエピソードをきいたりとか。
ご家族とも少しお付き合いがあるので、そういう意味でも感慨がありました。

もちろん心からお祝いしているのですが、
式の準備をしながらたくさんの人への感謝の思いを深くしたことや、
わが家も学生時代にいっぱいドライブしたり、美味しいもの食べに行ったり、就職してからはゴス○ラーズの「新大阪」よろしく東海道~山陽新幹線のいろんな停車駅で待ち合わせたりしたなぁ、
なんてことを思い出したりなんぞしていました。

同席した職場の事務さんにきいてみたら、「うちは他のうちに比べるとここがまともだ」って思う機会らしい。

ご祝儀って、美味しいごはん+引き出物+ちょっと物思いにふけるための代金かな、なんて思ったりしたけど、他の方はどんなこと考えるんでしょうか。





当たり前のような日常 [今日のできごと]

逆単身赴任がとうとう終結。

迎えに行く前に、スーパーで買い物を済ませておくことにした。
出産から帰ってきたときにもそんなことしなかったけど。平日だったからかもしれない。

とくに何を買うと決めていたわけではないけれど、とりあえずそんなに手間がかからないもの・・・
お好み焼きの材料と、翌日の朝ご飯を買うことにした。
野菜、肉、卵を買うのがすごく久しぶり。(最近は仕事帰りでもヨーグルトが買えるようになった。)
厚切り、というよりブロックのベーコンも抜かりなく。

今やペットボトルの水は山のように積んであった。
一応1箱買った。
必要ないとは思うけど、もしものときにあわてずに済むように。

一度にこんなにたくさん買うのは本当に久しぶり。
当たり前のように一家4人分の買い物ができることの喜びを、しみじみと感じた。

(ブログ記事としてはいまさらながらに)
亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。
また被災された方々、避難生活を余儀なくされる方々にはお見舞い申し上げます。
そして、原発の最前線で作業を続けている方々をはじめ、復興、復旧に尽力されているすべての方々に感謝します。


・・・とここまでかいて迎えに行った。
3週間ぶりの再会。娘興奮。
相方的には東京駅が暗いらしかったが、近所のスーパーに比べればかなりマシ。

我が家到着。
抱っこ終了とともに早速泣く息子。
自分のおもちゃに再会して声をあげる娘。
コンポのラックやゴミ箱に手をかける息子。
絵本を読むようにせがむ娘。
感慨に浸る間なんてちっともありやしなかった。

とりあえずお茶にして、近所のディスカウントストアへ。
俺としたことが、焼きそばを買い忘れたことに気づいた。
風呂入って、チーズつまみながら一杯飲んで、お好み焼きとベーコン焼いて。

当たり前のような日常を、大切に、笑って過ごしたい。






のり巻き [今日のできごと]

物心ついたころから、父は家で飲むと、「母さん、すだれと、おかかと、お下地(醤油)もってきて」と言って、のり巻きをつくってくれた。
喜々として、みんなでわけて食べた。

思春期、「いらない」とか、「なんで自分で(モノを)取りに行かないの?」とか、言ってみせた。
それはそれで本心ではあったのだけれど。

自分が中学から大学にかけての8年ほど、父はずっと単身赴任だった。
2,3週間に1度は帰ってきてくれる、今思えば、まめで、家族思いの父だった。
それでも、自分はおんなじように接した。
あるときは1か月ぐらいろくに口もきかなかった。
「たまに帰ってきた時ぐらい、甘えたいんだよ」って、言わせてしまった。
そのときは自分が正しいとしか思わなかったけど。

一度は奥さんに家事を任せた50前後のオジサンが、単身赴任で、掃除も、洗濯も、食事の準備も、全部自分でこなさなければならない、まして職場で労災があったり、不景気の影響で人員の問題があったりという話をきいていた。
振り返れば、そのときうちの父はどれだけの苦労をしていたのだろうと思う。
そりゃあ、糖尿病のコントロールもつかなければ、狭心症で心臓にステントも入るわけだ。

覚えたての知識で父に「それって狭心症じゃないの?」なんて受診を促したら、心カテ中にプラークがとんで一時ショック状態、IABPが入った状態でCCUで面会した。
もしあそこで父を亡くしていたら、自分の軽口を一生悔いて生きていくことになっただろう。


逆単身赴任状態になってたった1ヶ月半、食生活の乱れか、子どもがいないせいで夜更かしなためか、吹き出物が増えてきた。
今週末の夕飯は実家にお世話になることにした。
父が、いつものように「母さん、すだれと・・・」。
久々ののり巻きは、ご飯が多すぎて、納豆があふれだして、うまく巻けていなくて、ぐずぐずに崩れながら食べた。
父が覚えているかどうかはともかくとして、あのころのことを謝りたいと思ったけれど、結局言葉にはできなかった。
「のり巻きは、飲まない人がつくったらその人の手間が増えるだけ。飲む人がつくればいい。」

これも我が家で受け継ぐ文化のひとつかな。
少なくとも思春期までは、子どもたちも喜んで食べるはずだし。

2011.10.21.追記 院長にご馳走になった寿司屋さんで海苔をお土産にいただいて、わが家でものり巻き始めました。
娘はわざとごはんを残して「コロコロ」「コロコロ」って催促します。
楽しいね。





 [今日のできごと]

病み上がり初出勤は日曜当直だった。
「誰か代わりを探しましょうか」ではなく「別の週と交換しますか」なんてききかたをされたら、ただでさえ少ない休みをみすみす手放さない方向で考えるしかなかった。

翌朝、3年目後期研修医と初顔合わせ。午後の予定手術を終えてから緊急手術2件。
火曜は医局の会議。
水曜も緊急手術1件。
木曜は予定手術だけれど終わったのは夜、その後リンパ節拾い、家路に就いたのは23時。
金曜は比較的早く仕事を終えて、若人たちと飲みに行った。

一口に(初期)研修医と言っても、どんな研修病院に就職するかで、どんな3年目後期研修医になっているかは、かなり違う。
まず研修医が鑑別診断、検査・治療計画を立てて、指導医がそれに助言、修正を与える病院と、
後期研修医が計画して、指導医が監督して、初期研修医には実質的な決定権がない病院と。
今回指導を仰せつかった彼女は後者の病院育ち。
検査や治療の計画、退院までの見通しを自分で立てることには慣れていないらしい。ちょっと一苦労だ。
外科医には術前診断と手術適応の判断、予想される合併症を含めた病状説明、糸結びをはじめとした手術手技、術後管理、覚えてもらわなければならないことがたくさんあるのだが・・・。

指導医って、結構めんどくさいんだな、ということがたった1週間でわかった。
「指導医手当」があるわけでもないのに、という不満も含めて。
そして自分と後期研修医とが、4年も離れているという事実に気付いて、少しショックを受けた。
まだまだ若手、まだまだ修行中の身、後期研修医はライバルだと思っていたのに、そこにはすでに4年もの月日が・・・。


家族と再び離れてからまだ1週間。こちらに戻ってくる日にちも具体化しつつある。
暖かくなって、計画停電もしばらく休みに入った。震災直後のような、日々のニュースに動揺することもない。
先日入浴中に地震が来たときにはさすがに「やめてくれー」と思ったけれど。その後ネットで震度6だったと知った。本当に、もう、やめてほしい。
状況が落ち着いているから、少々忙しいぐらいの方が気持ちも落ち着いていられる。


近所の梨の花が咲き始めた。
夕飯だけのつもりだったけれど、昼間のうちに実家近くの桜並木をみにいくことにした。
祭は中止になってしまったけれど、たくさんの人が満開の桜のトンネルのもとへ訪れていた。

たくさんの人に、春が届きますように。





広島にて [今日のできごと]

日曜の朝、相方からリクエストがあった子どもたちの春物の服をバッグに詰め込んで出発。
世間では出回っていないと言われるペットボトル入り飲料水が、東京駅では潤沢に取り揃えられていた。
母子連れも数組見かけたが、家族旅行をにぎやかに楽しんでいる方々もいた。
新聞を読んだりして、世の中のことを忘れるわけではもちろんないのだけれども、解放感のほうが大きかった。
従って駅まで迎えにきてくれた相方や子どもたちには、軽いハグと笑顔で再会できた。

一旦荷物を置いてから娘と散歩に出た街は、普段と変わらない様子だった。
多少雨がぱらついていたが、ここでは、おびえる必要がなかった。

翌日、とくに育ち盛りの息子の洋服と、15年ほど使い続けてとうとうファスナーが閉まらなくなってしまった旅行カバンを買いに出かけた。
ランチはそのショッピングモールの近所の喫茶店に入った。
初めて、娘が自分用のランチプレートに手をつけた。むしろ足りないぐらいだった。

その晩、子どもたちが眠そうにしているから、ということで19:30就寝。実際に眠ったのは自分だけだったそうなのだが・・。
ここで、数々のウイルスをものともしてこなかった体が、限界を迎えてしまった。
翌朝強い倦怠感と発熱。
誰かの手を煩わせることなく4時間も新幹線に乗り、無事に帰宅できるとは思えなかった。
職場に、今日は帰れない、明日の出勤もできないと連絡を入れた。


一日中寝続けたら、翌朝は解熱(午後にはまた熱が出た)した。
近所のクリニックでインフルエンザの診断。
イ○ビルという吸入薬をその場で吸った。その1回でいいらしい。その薬の存在さえ知らなかった。
職場に連絡したら、週いっぱいの自宅療養を指示された。異動で人手のないときに申し訳ない。
義父母も具合よくなるまでいていいと言ってくださったので、最終的に広島滞在は当初の2泊3日から6泊7日に延びた。

出産のときなどたびたびの長期滞在をさせていただき、本当に義父母に恵まれたし、いい関係を築くように言っていた両親の言わんとすることを、おそらく両親が思っていた以上に実感している。
そして、いろんな風当たりは厳しくとも、不況だろうが、震災だろうが、優先的に資源を供給、維持するべきとされ、雇用の安定している職場に勤めていることもありがたいと思う。
逆に「逃げ出す」ことが許されないのではあるけれども。

薬と自力とでそこそこ具合はよくなったけれども外出はできないという状況で、相方が借りていたDVDをみたり、新聞を読んだり、布団に横になったり以外はゆったりと子どもと戯れる時間になった。
家事は義母さんと相方にお願いすればいい。
あまり子どものことをしからずにすんだ。

下の息子の成長は目覚ましい。
もっていった服はサイズが足りなくなり、ここ1週間で明らかにハイハイが上手になった。
歯がはえた。
泣くと父親の自分では太刀打ちできないけれど、基本的によく笑う。
食事時はなにかしらと戯れて、我々に平穏にご飯を食べさせてくれる。娘のオマルに手をかけるのはやめてほしいけど。
離乳食も嫌がらずに食べているよう。
娘は肉も野菜も好き嫌いなくいろいろ食べている。
トイレトレーニングも再開。
弟と遊ぶ時の力加減も、多少、上手になった。


母によると、関東の余震の頻度は低下傾向、水道水汚染もない、野菜は普通に手に入る、ペットボトルの水や乳製品は相変わらず、ということだった。
天気しだいでまた影響が出てくるとは思うけれども。

相方と子どもたちが帰ってくるのは4月末予定。
具体的な懸案事項があるようには見えなかったが、下が7ヶ月、上だって抱っこをせがんだり、思うように歩かなかったりだから、無理もないか。
春物の服なんてちっとも持ってきてないんだから、一度帰ってきたらどうかとも言ってみたけれども。
とりあえず、けがの功名も手伝って、地震のない、明るい世の中で、家族とのんびり過ごせた1週間だった。


震災で部品供給が止まっていて、広島駅に向かう電車は極端に減らされていた。
詰め込んでも乗りきれないほどの満員電車。
ニーズを読み誤った雰囲気が、計画停電の混乱に似ていた。
片手に娘、片手につり革で踏ん張った。

広島駅、普段どおりビールと穴子竹輪を買った。
(娘)が泣いても知らないぞって言ってあったのに、笑って手を振る娘を前に、真っ先に潤んだのは自分のほうだった。





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