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経験をつんでも、辛いものは辛い [お医者のキモチ]

半月前に書いてあった記事をアップ。

自分はちょっとやそっとのことでは動揺しない、とまわりから見られているらしい。

オーベンからは「センセーはお酒飲んでも顔色変わらないし、受け答えも変わらないし。一度化けの皮をはがしてみたいんだよねー」と。

まぁ、確かに、思ったことをすぐに口にするほうじゃない。
相方や親しい友人と話しているときは「どんな冗談で切り返してやろうか」って考えるとこでも、他の人に対しては、そういうのは苦手。
損してるといわれるし、自分でもそう思う。

この前、ちょっかいを出し合ってる研修医に「膝カックン」(古っ)したところをオペ室ナースに見られた。
「へ~、センセーってそういうキャラだったんだ~。今度から私たちもやりますから!」
心の間の氷って、妙なところから溶けるものだ。


先日、歓迎会という名目のオペ室の食事会があった。
何かの話の流れで副院長が「センセーって患者さんが亡くなっても動揺しなさそうに見えるけど」と。
私「そんなことないですよ。そういうときは声が上ずっちゃいます」
科長も「私も付き合いの長い患者さんが亡くなると泣いちゃうのよね」
副院長も「感情が入っちゃうから『これは他人事』と心の中でつぶやくようにしてる。じゃないともたないよ」と。
どれだけベテランになっても、看取りは辛いんだなぁ。
当たり前って言えば当たり前のことなんだけど、人の死に立ち会う辛さは、この先30~40年ぐらい甘受し続けるんだなぁ。

…一方、残念ながら医療職には悲嘆にくれている時間が与えられていない。
私「でも、次の瞬間には、笑顔で別の患者さんに会いに行くんですよね」
副院長「そうそう、そういう演技みたいな技量が医者には必要なんだよな。次の人には、元気になったねぇ、よかったねぇって」
我々だってもちろん悲しいのだけれど、患者さんが亡くなったときにせよ、悪いことを伝える病状説明の後にせよ、それとは無関係な、軽快傾向のある患者さんに涙目、涙声で会いに行くわけにいかない。
かといって、30分も1時間も悲嘆にくれていては、仕事が終わらない、指示が遅くなると他職種の仕事にも支障が出る。

学生のころ実習先で指導医が、Aさんの術前の病状説明中に、Bさんが亡くなりそう、という事態に直面した。
Aさんには笑顔を見せつつ説明し、呼ばれていってBさんのご家族に神妙な面持ちで対応し、ということを繰り返した。
プロってこういうものなんだと思ったものだけれど、今現実に、自分がそうしている。

「動揺」から、ベテランになっても人の死はやはり辛いものであり続け、それを引きずってその日1日を過ごすことが許されないという思いも変わらない、ということをきけたお話でした。






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