SSブログ

友人の…

大切な友人を亡くして、5か月が過ぎました。
難病を抱えながら医師になり、体調を崩すことがありながらも初期研修を修了、外科医としての道を後輩として、ライバルとして、ともに歩み始めた矢先のことでした。

彼は、家族ぐるみの付き合いのある友人でもあり、若手の医者みんなにとってのムードメーカーでもありました。


(当院ではなく)主治医のいる病院で、数日にわたる懸命な救命処置を受けました。
危篤状態とききながらも、手術や病棟業務でろくに千羽鶴を折ってやることもできませんでした。
彼の奥さんをサポートしないと、と思いつつも、自分が行くこともできず、身重の相方に行かせることもできず。
ただ、彼の若さで何とか持ち直してほしいと、祈ることしかできませんでした。

医師になってから数年間、これまでにいくつかの命を救ってきたつもりでいました。
が、そんなものはただの驕りに過ぎないことを思い知らされました。
薬剤や手術を駆使して最善を尽くすのだけれど、それはあくまでも患者さんの治ろうという力をサポートする行為なのであって、最終的には、患者さん自身が病気に打ち勝つように祈るしかない。
炎症が落ち着きますように、抗癌剤がききますように、傷がうまくつきますように、縫合不全をおこしませんように、・・・思い起こせばそういう日々の連続ではないか、と。


きっと彼は元気になって職場に戻ってくるに違いない、これからも一緒に鍛練を積んでいこう、また一緒に手術に入ろう、そう信じていましたが、ある日の朝、彼が亡くなったと知らされました。
妙なプライバシー意識がはたらいて相方には病状のことを伏せていましたが、帰宅後、話しました。
なんて切り出そうか散々悩んだけれど、結局初めから涙声になりました。


弔問に伺ったときは「また会いに来るからね」「斎場に会いに行くからね」
お通夜のときは「また明日来るから」
どこに行ったら彼に会えるんだろう、そんなことばかり考えていました。
相方共々、これはご家族や病院関係者を巻き込んだ壮絶なフィクションで、きっと彼は特殊メイクの下でほくそ笑んでるんじゃないか、なんて、現実逃避していました。
しかし、お葬式のときには「次はどこに行ったら会えるの??」「いいかげん見送ってやらないといけないのかな・・」。
そして彼の遺骨はお墓に納められ、そこが会いに行く場所になりました。


伯父が亡くなった時には自分の感覚が麻痺してしまっているのではないかと不安さえ覚えました。
しかし、同年輩の友人の急逝は、あまりにつらく、悲しい出来事でした。
胃薬を手放せなくなって、胃カメラ初トライしたのも、まさにこの時期でした。


もともと小児科医を目指していて小児外科医に鞍替えした彼に、こどもを抱いてもらったり、出産前祝いのお返しを直接手渡せなかったのが残念でした。
彼の結婚式用に御祝儀袋を用意してあったのに、使えないまま置いてあります。
彼、一風変わったTシャツが好きなんです。
この前名古屋に行った時にお土産に買って帰れなかったのが残念でした。


医局の彼のデスクの2008年11月のカレンダーには、
「悲しいことは抱え込むと冬を越すのに辛いから、ドングリにでもしておけ」って書いてありました。
・・・。


NEC_0150.jpg
彼が沖縄の学会のお土産にと、体調不良ながらも買ってきてくれた置物です。
うちの事情なんてどっかに置いといて、
彼自身が大好きな奥さんを大切に、幸せにしたかったろうに、と悔やんでいるのではないかと思います。
だからこそ、彼に笑われないように、家族を大切にして、仕事も充実して、がんばらないと、と思うのです。






nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。