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健康について [今日のできごと]

子育てが始まってから、健康的な暮らしになったと思います。
仕事を終えたら世話話をせずにスッと帰宅するようになったし、当直の日でも帰れる日は帰って家族と過ごす時間を持つようになりました。
はじめは子どもが眠ったのを見計らって寝室を抜け出してたけど、そういう抵抗をしなくなってからは夜食を食べなくなりました。おかげで一時+5kgぐらいだった体重が学生の頃より減ってて。
ゆっくり寝られるから翌日の体調がよくて、早寝早起きだから休日もばっちり目覚めて朝からみんなで遊びにいけるし。

・・・里帰りに伴い、寝る時間は遅くなるわ、おかしは食べるわ。
よくないです、一人暮らしは。
と思ってたった今体重計に乗ってきたけど、さらに体重減ってた。それはそれで危険。。
そろそろウサギさん(と言ったら、解説なしで相方は理解してくれました)なので、早く帰ってこないかなぁ、と。


先日、5時間にわたる腹腔鏡下手術をやり遂げました。
得られたものは達成感だけではなく腰痛もでした。
体の向きと、モニターの向きが違う状態が長く続いたので。

腰痛って、つらいっすねぇ。
はじめは寝るとき以外は家でもずっとバンドをして、横になる時間を極力取るようにしていましたが、それも仕事中以外は必要なくなりました。
自分はならないと思ってたけど、年には勝てないなぁ・・。


移植医療についても考えてみたりします。
医療というものは単なる人助けではなくて、natural course、つまり人為的に対処しない場合にたどる生命、生活の転帰、に抵抗するものであり、それが自分の仕事でもあるわけです。
しかし、無制限に抵抗するべきかというと、どこかで線引きは必要です。
端的な例は、終末期患者に人工呼吸、心臓マッサージなどいわゆる延命治療をするかどうか、といったものです。
臓器を人からもらうことを前提とする移植医療には、漠然とした抵抗感がありました。

そう思っていたのですが、いざ自分の子どもの病気が判明すると、思いは容易に宙に浮きました。
受けたほうが良いとされるのであれば、必要な手術はお願いしたいと思いました。
こどもによくなってほしいという気持ちはまったく同じで、ただ、それが本人の体だけで完結する手術なのか、あるいはだれかの臓器があれば完結する手術なのか、それ「だけ」の違いでした。

移植を必要とする子ども、その親にとって、それが必要な手術なのですから。
実際には全くそうではなかったのですが、腎移植を受けることでうちの子が元気でいられるなら、そのための手だてを模索したでしょうから。


先日実家に行ったとき、ドキュメンタリーである人物の半生を振り返り、妻からの手紙あり、でも結局青汁のコマーシャルかよ!という番組を観ました。
父はそうと知って観ていましたが。
胡散臭かったけど、なにをするにも健康であることが大前提、というのは真実だと思います。






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