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大地震1 [今日のできごと]

午後、1例目の手術を終えてとりあえず病棟業務を済ませてしまおうと書類を手にパソコンの前に座った。
ほどなく、大きな地震がきた。
棚のまん前なのでナースステーションから廊下に出ると、壁がギシギシいい始めた。
これはヤバイと思った。
目の前で、コピー機が落下した。
一旦収まったかのようで、またすぐに揺れはじめた。

収まったところで、スタッフが病棟内に散り、ドアを開けてまわり、安否確認する。
呼吸器装着中の患者はおらず、停電、酸素の配管故障や火災はなかった。
カンファレンス室の棚が落ちてテーブルに突っ伏していた。「ついさっきまでそこにいた」とNs.が言う。
ナースステーションには書類が散乱し、冷蔵庫と製氷器、机が数cm移動していた。数人のNs.が倒れないように支えていたらしい。
何から手をつけたものやら。また大きな揺れが来たら元の木阿弥だ。

隣の病棟では作り付けの棚がゆがみ、冷蔵庫が倒れていた。

2例目の手術は執刀直前でストップしているということだった。

幸い院内に負傷者はいないという情報が伝わってきた。
院長や副総師長が病棟や各検査部門、ネットワーク関連部門の状況確認をしている。
何度も強い揺れに襲われたが、屋外に出るのはかえって危険であり、避難誘導はしないということだった。
散らかったままの家をそのままにして夜勤に出勤してきたNs.、インフルエンザで解熱後2日目のDr.や非番のNs.が駆けつけてくれた。

大きな揺れが収まってきたところで、階段を下りた。
救急外来に混乱はなかった。
会議室に院長、副院長、管理師長、管理事務が集まっている。
図書室の棚が倒れて、せっかく整理したばかりの医学雑誌が散乱していた。

医局は本や書類が散乱してまさに足の踏み場がない状態になっていた。
ひとまず相方にメールを入れた。問題なく送れた。
相方と子どもたちが広島に帰っている間のことでよかった。戦力になるどころか、泣き叫んで足を引っ張ることしかできないチビ2人を抱えて途方に暮れていたことだろう。
両親、姉にも安否確認のメールを入れ、ほどなく無事の知らせが届いた。
病棟から続々引き揚げてきた各Dr.が机の整理をはじめた。
地震発生時から医局にいたという副院長のひとりは、ヘルメットを被って、もっぱらテレビ報道に見入っていた。

机が片付いたところで病棟に戻ると、こちらも落ち着きを取り戻しつつあった。
地震がなければとうに終えていたはずの書類やカルテ記載を済ませた。
地震関連の救急搬送はなかった。

一時は院内待機も覚悟したが、その後大きな余震がくることはなかった。
院内のインターネットが使用不能になったので携帯から電車の運行状況を確認するが、何度みても運転再開の見通しは立たないようだった。

結局、後輩が車で送ってくれるというので、ご厚意に甘えさせてもらった。
駐車場に向かう道すがら、1か所だけ塀が倒れていた。
混雑はしていたが、途中でちょっと人助けをした以外には、トラブルなく帰宅することができた。


玄関のドアを開けるのが怖かった。どんなになってるんだろう。
玄関に飾ってあった、父が結婚祝いにつくってくれた額が落ちていた。
机や棚の本やDVD、食器棚の上の料理本が散乱していた。
相方の祖父の絵の額や、子どもの出産祝いのフォトフレームが壊れてしまった。
子ども用のストッパーのおかげで、扉にせき止められた食器が落ちずにすんでいた。
この程度といえばこの程度ですんだ。

相方に電話を入れた。

とりあえず台所をざっと片づけて、ごはんにした。
不測の事態や呼び出しに備えて、ノンアルコールビールにしておいた。
椅子に座っていると、地震なのか、自分が揺れているのかよくわからない。
強い余震はなかったので、机のまわりも片付けて、風呂に入った。

自分の生活を維持するためにここで過ごすしかないけれど、本音のところは心細かった。
夜中も余震や緊急地震速報のメールで何度も起きた。
でも、だんだん感覚が麻痺していって、そのまま横になっていた。





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