SSブログ

大地震3 [今日のできごと]

全然平穏なんかじゃなかった。(昨日の記事最後参照)

身体を休めるために早めに布団に入ったら、相方からのメールで飛び起きた。
は?こんな時間に停電のこと決めたの!?
しかも一番早いグループで6時台!?
相方から知らされなければ、下手をすれば朝起きたらいきなり電気が使えない状態に直面していたかもしれない。

あわててネットをみても、自分の街が2つのグループにまたがっていて、結局どちらのグループなのかわからない。
もしグループ1だったら、「お宅には平穏に朝飯も晩飯も食う資格はない」と言われているようなものだ。
生活者としての視点が全く感じられなかった。

日曜の夜にこんな重要なことを決める時点で、すでに「無」計画停電であることは明らかだった。
こんな夜中に持ち回りの電話会議で企業活動が止まることなどありえず、たくさんの人々が車での出勤を試みるだろう。
医療の視点からみれば、非常電源で賄える電力には限度があり、救急、緊急検査、緊急手術以外の医療活動が円滑に行われるとは到底思えない。
つまり平常の外来診療や、CT・MRI・内視鏡などの予約検査、まして予定手術まで、行えなくなってしまうのではないかと思った。
病院なら電源のバックアップが得られたとしても、在宅人工呼吸器や在宅酸素の患者の命の保証はないのではないか(今日確認したら、数日はバッテリーがもつらしい)。

こんなことなら自分も広島に逃げてしまいたい!


・・・結局、朝起きたら停電はしていなかった。
ってことはうちはグループ1以外?
かと思ったら停電は見送りとのことだった。
電車は動いていない。車で出勤した。

いつもより少し早く出たはずが、大渋滞。
途中で見かけた職員(徒歩)と、結局病院に着くまでの時間が変わらなかった。
少なくとも今日は平常通りの業務とのことだった。明日以降はわからない。
病棟の廊下や医局の蛍光灯は消えて薄暗かった。かえって照明の付いているフロアが悪目立ちしているぐらいに見えた。
いかに都市生活が原発に依存し、浪費し続けてきたかが、まざまざと感じられる。

外科から、宮城県内の病院の支援にひとり出せないかと打診があったらしい。
足元の業務が回せなくなることと、阪神の時(家屋の倒壊が主だった)と違ってむしろ今回(津波が主)は内科医の出番だということで上司が断ったと後できいた。別のDr.が今日こちらを発った。
なんとも複雑な気分。
行くとしても、相方と子どもたちに会ってから行きたい。
相方が子どもたちの動画をメールに添付して送ってくれた。
すごく癒された。
ただ、今の状態で帰ってきてほしいとは思わない。

相方が買いこんでくれたサ○ウのごはんやレトルトのおかげで、ただちに食糧危機に陥りそうな状況ではない。
今月いっぱいぐらいは、踏ん張るしかないようだ。





nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

大地震2大地震4 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。