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大地震9 [今日のできごと]

地震発生から2週間。
図らずも、我が家の相方と子どもたちが「疎開」生活を始めてから3週間。
もともとの予定ではそろそろこちらに帰ってくるころだが、そのめどはたたない。

自分はひとりでは生きていけない人間だと、すでに学生時代には悟っていた。
そんな自分には、今の状況は心細くてしかたがない。
地震そのもの、停電と電車の運行状況、ガソリンや食料の買占め、供給不良、原発や放射能と、次々に生活を左右する要素が現れてくる。
透視下の検査でもろに被曝するのに比べれば、現状でのこのへんの空気の放射線量なんてたいしたことはないだろうと思う。
でも、原発に電源がつながり、事態が好転する兆しが見えたかと思ったら、今度は水道水の放射能汚染で乳児の飲用は避けるように言われている。

自分のことや、家族をいつ呼び戻せるか、どうしたら会えるかで精一杯。
あまり神経質になりすぎてもって思いつつも、あえてリスクをおかす理由はない。
たびたびの地震や停電に相方や子どもたちが動揺せず、物資の調達に困ることもなく、ましてミルクや離乳食に水道水が使えない事態に直面せずにすんでいるメリットは、かなり大きいだろう。
(2011.04.03.注 「離乳食」の記載は、「煮沸では放射線量は減らない」ことから記載したものであり、科学的根拠によるものではありません)

65年の時を経て、広島に子どもたちが「疎開」することになろうとは。
でも、それはすなわち福島、日本は必ずまた立ち直れるってことなんだとも思う。


津波やその後の街の変貌の映像は直視できず、テレビではなくラジオに情報を求めるようになった。
「自分たちにできることは」とか、当たり障りのない音楽だったりとか、共感はしているのだけれど、それが何日も続くと、ますます抑うつ状態になっていきそうだった。
最近の情報源は、ネットと新聞。学生の頃のよくきいていたCDをかけたら、つらいことも忘れられた。

連日の休日出勤とたびたびの緊急手術、予定手術も長時間で、心身ともにヘトヘト。
ふと、同僚が異動でいなくなる前じゃなきゃ、今度いつ広島に行けるかわからないじゃん、ということに気づいた。
早速他のDr.の勤務予定、当直を代わってくれるあてを確保して、広島行きを決めた。
いつものスーパーの駐車場に車を止めて、新幹線の指定席をとった。
ひとりであればいつもなら自由席に飛び乗るけど、実は「疎開」している人はそれなりにいるらしく、混雑している可能性があるから。

その後、スーパーで食品を買った。
店全体が薄暗い。あの暗さは、ますます元気がなくなってしまう。明るいのに慣れ切ってしまっただけなのだけれど。
相変わらず、乳製品は手に入りにくい。
シーツを買い換えようと思っていたけど、あまりいいのがなかった。
酒屋さんに寄ったら、その日の昼間に水道の報道がされていたらしく、水は売り切れだった。
自分が買いに行ったのはビールだけど。
孫がいるわけでもないじぃさま、ばぁさまが買い占めたわけではないことを切に願う。
ホームセンターに行くつもりだったけれど、疲労感が強くてやめた。

避難生活を送っておられる方々の方が大変なのは百も承知。
被災しながらも懸命に医療活動を続けている方々よりはるかに平穏な生活を送っていることもわかっているんだけれども。

明日、やっと子どもたち、相方に会える。
そのときの自分は笑ってるかな、泣いてるかな。
はたまた、相方が大遅刻してきて、怒ってたりして。





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