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広島にて [今日のできごと]

日曜の朝、相方からリクエストがあった子どもたちの春物の服をバッグに詰め込んで出発。
世間では出回っていないと言われるペットボトル入り飲料水が、東京駅では潤沢に取り揃えられていた。
母子連れも数組見かけたが、家族旅行をにぎやかに楽しんでいる方々もいた。
新聞を読んだりして、世の中のことを忘れるわけではもちろんないのだけれども、解放感のほうが大きかった。
従って駅まで迎えにきてくれた相方や子どもたちには、軽いハグと笑顔で再会できた。

一旦荷物を置いてから娘と散歩に出た街は、普段と変わらない様子だった。
多少雨がぱらついていたが、ここでは、おびえる必要がなかった。

翌日、とくに育ち盛りの息子の洋服と、15年ほど使い続けてとうとうファスナーが閉まらなくなってしまった旅行カバンを買いに出かけた。
ランチはそのショッピングモールの近所の喫茶店に入った。
初めて、娘が自分用のランチプレートに手をつけた。むしろ足りないぐらいだった。

その晩、子どもたちが眠そうにしているから、ということで19:30就寝。実際に眠ったのは自分だけだったそうなのだが・・。
ここで、数々のウイルスをものともしてこなかった体が、限界を迎えてしまった。
翌朝強い倦怠感と発熱。
誰かの手を煩わせることなく4時間も新幹線に乗り、無事に帰宅できるとは思えなかった。
職場に、今日は帰れない、明日の出勤もできないと連絡を入れた。


一日中寝続けたら、翌朝は解熱(午後にはまた熱が出た)した。
近所のクリニックでインフルエンザの診断。
イ○ビルという吸入薬をその場で吸った。その1回でいいらしい。その薬の存在さえ知らなかった。
職場に連絡したら、週いっぱいの自宅療養を指示された。異動で人手のないときに申し訳ない。
義父母も具合よくなるまでいていいと言ってくださったので、最終的に広島滞在は当初の2泊3日から6泊7日に延びた。

出産のときなどたびたびの長期滞在をさせていただき、本当に義父母に恵まれたし、いい関係を築くように言っていた両親の言わんとすることを、おそらく両親が思っていた以上に実感している。
そして、いろんな風当たりは厳しくとも、不況だろうが、震災だろうが、優先的に資源を供給、維持するべきとされ、雇用の安定している職場に勤めていることもありがたいと思う。
逆に「逃げ出す」ことが許されないのではあるけれども。

薬と自力とでそこそこ具合はよくなったけれども外出はできないという状況で、相方が借りていたDVDをみたり、新聞を読んだり、布団に横になったり以外はゆったりと子どもと戯れる時間になった。
家事は義母さんと相方にお願いすればいい。
あまり子どものことをしからずにすんだ。

下の息子の成長は目覚ましい。
もっていった服はサイズが足りなくなり、ここ1週間で明らかにハイハイが上手になった。
歯がはえた。
泣くと父親の自分では太刀打ちできないけれど、基本的によく笑う。
食事時はなにかしらと戯れて、我々に平穏にご飯を食べさせてくれる。娘のオマルに手をかけるのはやめてほしいけど。
離乳食も嫌がらずに食べているよう。
娘は肉も野菜も好き嫌いなくいろいろ食べている。
トイレトレーニングも再開。
弟と遊ぶ時の力加減も、多少、上手になった。


母によると、関東の余震の頻度は低下傾向、水道水汚染もない、野菜は普通に手に入る、ペットボトルの水や乳製品は相変わらず、ということだった。
天気しだいでまた影響が出てくるとは思うけれども。

相方と子どもたちが帰ってくるのは4月末予定。
具体的な懸案事項があるようには見えなかったが、下が7ヶ月、上だって抱っこをせがんだり、思うように歩かなかったりだから、無理もないか。
春物の服なんてちっとも持ってきてないんだから、一度帰ってきたらどうかとも言ってみたけれども。
とりあえず、けがの功名も手伝って、地震のない、明るい世の中で、家族とのんびり過ごせた1週間だった。


震災で部品供給が止まっていて、広島駅に向かう電車は極端に減らされていた。
詰め込んでも乗りきれないほどの満員電車。
ニーズを読み誤った雰囲気が、計画停電の混乱に似ていた。
片手に娘、片手につり革で踏ん張った。

広島駅、普段どおりビールと穴子竹輪を買った。
(娘)が泣いても知らないぞって言ってあったのに、笑って手を振る娘を前に、真っ先に潤んだのは自分のほうだった。





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