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大地震9 [今日のできごと]

地震発生から2週間。
図らずも、我が家の相方と子どもたちが「疎開」生活を始めてから3週間。
もともとの予定ではそろそろこちらに帰ってくるころだが、そのめどはたたない。

自分はひとりでは生きていけない人間だと、すでに学生時代には悟っていた。
そんな自分には、今の状況は心細くてしかたがない。
地震そのもの、停電と電車の運行状況、ガソリンや食料の買占め、供給不良、原発や放射能と、次々に生活を左右する要素が現れてくる。
透視下の検査でもろに被曝するのに比べれば、現状でのこのへんの空気の放射線量なんてたいしたことはないだろうと思う。
でも、原発に電源がつながり、事態が好転する兆しが見えたかと思ったら、今度は水道水の放射能汚染で乳児の飲用は避けるように言われている。

自分のことや、家族をいつ呼び戻せるか、どうしたら会えるかで精一杯。
あまり神経質になりすぎてもって思いつつも、あえてリスクをおかす理由はない。
たびたびの地震や停電に相方や子どもたちが動揺せず、物資の調達に困ることもなく、ましてミルクや離乳食に水道水が使えない事態に直面せずにすんでいるメリットは、かなり大きいだろう。
(2011.04.03.注 「離乳食」の記載は、「煮沸では放射線量は減らない」ことから記載したものであり、科学的根拠によるものではありません)

65年の時を経て、広島に子どもたちが「疎開」することになろうとは。
でも、それはすなわち福島、日本は必ずまた立ち直れるってことなんだとも思う。


津波やその後の街の変貌の映像は直視できず、テレビではなくラジオに情報を求めるようになった。
「自分たちにできることは」とか、当たり障りのない音楽だったりとか、共感はしているのだけれど、それが何日も続くと、ますます抑うつ状態になっていきそうだった。
最近の情報源は、ネットと新聞。学生の頃のよくきいていたCDをかけたら、つらいことも忘れられた。

連日の休日出勤とたびたびの緊急手術、予定手術も長時間で、心身ともにヘトヘト。
ふと、同僚が異動でいなくなる前じゃなきゃ、今度いつ広島に行けるかわからないじゃん、ということに気づいた。
早速他のDr.の勤務予定、当直を代わってくれるあてを確保して、広島行きを決めた。
いつものスーパーの駐車場に車を止めて、新幹線の指定席をとった。
ひとりであればいつもなら自由席に飛び乗るけど、実は「疎開」している人はそれなりにいるらしく、混雑している可能性があるから。

その後、スーパーで食品を買った。
店全体が薄暗い。あの暗さは、ますます元気がなくなってしまう。明るいのに慣れ切ってしまっただけなのだけれど。
相変わらず、乳製品は手に入りにくい。
シーツを買い換えようと思っていたけど、あまりいいのがなかった。
酒屋さんに寄ったら、その日の昼間に水道の報道がされていたらしく、水は売り切れだった。
自分が買いに行ったのはビールだけど。
孫がいるわけでもないじぃさま、ばぁさまが買い占めたわけではないことを切に願う。
ホームセンターに行くつもりだったけれど、疲労感が強くてやめた。

避難生活を送っておられる方々の方が大変なのは百も承知。
被災しながらも懸命に医療活動を続けている方々よりはるかに平穏な生活を送っていることもわかっているんだけれども。

明日、やっと子どもたち、相方に会える。
そのときの自分は笑ってるかな、泣いてるかな。
はたまた、相方が大遅刻してきて、怒ってたりして。





大地震8 [今日のできごと]

この3連休(といっても仕事のなかった日はない)は停電なし。
電車も、本数は少ないが常時動いていた。
明日からも、常時動くとのこと。
これで、ガソリンや渋滞の心配をする必要はおおかたなくなった。
電車ってものすごい影響力をもっている。

今日も午前から緊急手術だった。
入室までの間に、昨日の時間外入院の方々の方針を出す。
退院や転院の方には、カルテ記事、退院時要約、入院療養計画書、退院証明書、病名を記入するシート(、診療情報提供書(=紹介状))を一気に書きあげ、退院時処方を出さなければならない。
これが1人だけならまだしも、2人、3人にもなると結構きつい。俺の仕事は診療であって書類書きじゃないんだよって。

病棟からの問い合わせに応えてから、手術室に駆け込む。
それほど長時間の手術ではなかったが、強い疲労感があった。
疲れを自覚せざるを得なかった。

その後救急外来に交代に入った。
インフルエンザが勢いを盛り返していたり、胃腸炎の方が多い印象。
初めは相当不愛想になってしまったが、その後勝手を取り戻した。
地震の後から具合が悪いという方も、少数だが、いる。
いろいろありながらも社会とのつながりを持たざるを得ない人の方が、疲れてはいても、心の健康を保てているのかもしれない。
新規受診の患者が途絶えた16時ごろ、やっと昼食にありついた。

数十人規模で被災地から広域搬送されてくる患者さんを受け入れている病院は、どうやら入院中の比較的軽症者に退院してもらうなどしてベッドを確保しているらしい。
非被災地の皆さん、具合悪くなってる場合じゃないよ!
なんていっても無理だけど。

ショッキング、あるいは扇動的なテレビ映像に耐えかねてラジオに情報を求める人が少なからずいるらしい。
自分だけじゃないんだって、少しほっとした。

電車も動くことだし、そろそろこのシリーズは不定期にしようかと思う。





大地震7 [今日のできごと]

ガソリンを温存するために、買い物に行くでもなく、ドライブに行くでもなく。

地震でしっちゃかめっちゃかになったものの一つが年賀状。
この機会に過去の年賀状を整理することにした。
2007年分から、年ごとに輪ゴムで留めてそのままつっこんであった。

結婚を機にやりとりが再開した人がいたり、
姉貴が結婚して、子どもが生まれたり、
写真付きはがきの、いとこの子がだんだん大きくなったり、
友人のうちの親子3人がおんなじ顔してたり。
5年間を振り返ると、いろんな変化があったんだなぁと、結構楽しかった。

その後、アルバムの整理。
うちの子って可愛いなぁと思ったり、
出産のときいろいろあったなぁと振り返ったり。

わりと楽しかった。
でも、前提が「省エネなことをしよう」だったりとか、
いつもは明るく冗談を飛ばしているDJがときおり言葉に詰まりながら放送してたりとか、
どうしても寂しさはついてまわった。

入院患者の状況把握や、弁当を食べる時間、シャワーの時間を考えて早めに家を出た。
同じマンションのお子さんが、「こんばんは」って言ってくれた。
そしてお母さんに「これからお仕事?」ってきいていた。
内心「そうだよ、これからお仕事だよ。そんなに楽して稼いでるわけじゃないのよ」とつぶやきつつ、
今の状況、子どもが一緒なのもそれはそれで間違いなく大変だけれど、正直言って「いいなぁ」と思う。
駅に着く手前で、そういえばこの休みで久々のひとり旅にでも行こうかと思ってたことを思い出した。

ICUが大変らしいとききつけて気道確保困難な患者に挿管したり、
他科の麻酔を手伝ったり、
自分が入院させた患者の緊急手術をしたり、
自分で言うのもなんだけど、彼じゃなくて俺が当直でよかった、と思った。
他科のDr.に感謝されると、自分も少しずつ頼れる医者になっていけているのかなって、自信につながる。

今日の朝食は蕎麦だった。
先週のフライドチキン、フライドポテトに比べればはるかにましだ。
文句は言うまい。

手術を終えて実家に直行した頃にはもう昼過ぎだった。
電車はいつもの半分の本数。
多少混雑していても、満員ではない。
実家ではラーメンとおはぎをごちそうになった。
ロールキャベツ、おはぎ、ヨーグルトを持たせてもらって、歩いて帰った。

これからの日本はどうなっていくんだろう。
電力と経済。
生活で節約できる電力はわずかだけれど、それでもたくさんの人が心がければ大きな力になる。
事実、ひとりひとりの節電が計画停電見合わせにつながっている。
これから先も、みんな、少なくとも当面は電気をこまめに消すように心掛けるだろう。
ただ、それよりも企業の大口消費の方が問題。
原発再建か、非原発のエネルギー源をたくさんつくるのか、それとも経済成長をあきらめるのか。
大きな岐路に立たされている。
エネルギー源が再構築されなければ、計画停電だっていつ終わることかわかったものではない。

自衛隊や米軍。
災害支援を申し出てくださった国は100を超え、たくさんの方々が救助活動のために来日してくださった。
本当に感謝でいっぱい。
この震災を考える上で、地震、津波だけでなく原発の問題を避けられない。
消防、警察、電力会社も含めて、たくさんの方々が命をかけて最前線で活動してくださっている。
自分はそもそも軍隊というものに対して嫌悪さえ抱いていた。
今回、戦争にせよ、災害にせよ、いつ来るとも知れぬ苦境から国を守るために日々訓練を重ねておられることを思い知らされた。
こと米軍に対しては、「それとこれとは別だから、ありがとう、さようなら」という状況にはなくなった。

この国はどんなふうに生活様式を見直し、諸外国と付き合っていくようになるんだろう。






大地震6 [今日のできごと]

今週に入ってから、いつもより30分早く起きる日々が続いている。
行きも帰りも足を確保できそうだったので、電車で出勤した。

朝のカンファレンスで、「今度くる後期研修医のオーベン(指導医)になってくれる?よろしくね」と言われた。
は?自分でいいんっすか。
その後手術室にこもって、日勤業務を終えた。

2回目の停電のため、帰りの電車が動かないらしいと知った。
疲れたから歩いて帰ろうとは思わない。のんびり仕事しているうちに動く時間になるだろう。

検体からリンパ節を拾いあげてホルマリンに浸したのち、母に電話をかけた。
普段なら2つ3つの用事の話ぐらいしかしないけれど、最近は兄弟やうちの妻子の近況を話している。
カップラーメンをすすり、テレビから流れる情報を見聞きしながら手術記録を入力した。
術後患者の無事を確認してから病院を後にした。

確かに外は寒い。電力需要が伸びるわけだ。
一段と安全に注意を払っているためか、少し遅れて、運行を再開したばかりの満員電車がホームに入ってきた。
運行予定の掲示に人だかりができることを除けば、みな淡々としている。



停電する前にできることをしておこうと、6時に起きた。
朝食を済ませて、すぐに家を出た。
印象としては普段の普通の時間より少しすいているぐらい。
FMラジオで だいじょうぶ だいじょうぶ という絵本の朗読をきいた。
涙があふれてきた。
早めに職場について、術後患者の無事を確認してから仮眠をとった。
案の定、道路は混雑していたときいた。

外来には予約の方がみなさん来院され、定期フォローの方も、地震が起きる数日前に退院した方も、それぞれお元気に過ごされていた。
世間話しながら、たびたび揺れた。

宮城から帰ってくるDr.の代わりに明日の当直に入ることが本決まりになった。
彼の代わりを務めることが被災地への間接的な支援、と都合よく解釈することにした。

寒い。
電気ポットも、加湿器も、シャワートイレも数日前にコンセントを抜いたきりだが、エアコンだけは入れることにした。
お湯は必要な量だけガスで沸かすようにしている。
早めに寝て、身体を休めて、明るくなければできないことは明日にまわそう。





大地震5 [今日のできごと]

電車の運行状況は、結局今朝になっても昼分までしかわからずじまいだった。
幸いガソリンにはまだ余裕があり、車で行くことにした。
入荷するかどうかもわからないであろうガソリンスタンドに、500mぐらいの列ができていた。
普段は全く意識しないが、1時間足らずの通勤でも、確実にメーターは減っていた。

電車が動かないことによる個々人のガソリンの消費は、ガソリン待ちの車列にせよ、渋滞にせよ、貴重な労力と燃料の浪費だ。
経済効率が非常に悪い。

職場の至る所で照明が消えている。
つまづくほど暗いわけではない。
でも、明かりがともっていないと元気が出ない。
なにげなくつけっぱなしの電気が、気持ちまで照らしてくれていたようだ。

母によると、桜まつり(昨日の記事参照)は中止になったそうだ。
お祝いムードでもなければ、電気や発電機用の燃料を大量に食うイベントができる状況にもない。
的屋さんには「商売あがったり」な春だ。

今日は仕事を終えて間もなく帰宅することにした。
ディスカウントストアに寄った。地震以来、お店に入るのは昨日のコンビニと、これで2件目。
野菜は意外にたくさんあって、ちょっと安心した矢先、その奥には空の段ボールがたくさん並んでいた。
パウチ入りのお惣菜と、ノンアルコールと、ビールを購入した。
普段ならケース買いするものが、6缶入りx2というだけでなんとなく罪悪感。

ガソリン行列は帰りもほぼ同じ長さだった。
中には大型トラックや、介護事業者の車もあった。
なんとか統制がとれないものだろうか。

夜のうちにがんばって調べたって、明日のことは明日にならなければわからない。疲れたから早く寝よう。
兄にメールしてみた。東海地方でも、売り切れ商品があるらしい。
m3(医療従事者向けサイト)のポイントで、5000人、1500万円分以上の募金が集まっているらしい。
クリックだけで労せずして得たポイントだ。美味しいものを食べようなんて言わずに、協力することにした。

相方から電話がかかってきた。
娘は携帯に録音された父の声に反応しているらしい。
まぁ、娘から言わせれば、確かにわけもわからず離れ離れになったうえ、10日もあってないわけだから。
新幹線が平常運行に戻ってくれれば、1泊でいいから会いに行きたいと思う。





大地震4 [今日のできごと]

今朝の新聞の折り込みに市の広報が入っていた。

桜まつり!

・・・今それどころじゃないだろう。
もうちょっとリアルタイムな話がありそうなものだ。
でも、なくてはならない年に1度のイベントであることも確か。
果たして今年はどうなるんだろう。
にぎやかに屋台が並んだりするんだろうか。


今日は電車で出勤した。
行きも、帰りも医局の会議が終わるころには電車が動いてるはずなので。
車にしようかどうか迷ったけど、自分ひとりのために貴重なガソリンを浪費するのは不経済だ。
多少の不便は受け入れよう。
早めに出たら、それほどの混雑というわけではなかった。

ガソリンが残り数日分しかなく、このままでは出勤できなくなってしまうから電車通勤に切り替える、緊急呼び出しに対応できなくなってしまう、というDr.が少なくない。
でも、同じ県内でも上下水道やガスが保たれていて、液状化もない、というのは恵まれた環境のようだ。

原発が大変。
みんなで先輩Dr.がいる九州の病院に避難しようか、
同期のDr.は子どもだけでも四国の実家に送りたい、と。

とかなんとかいいつつ、準緊急手術を予定通りに終えた。


帰りがけ、相方に電話をかけた。今日は携帯が普通につながった。
節電とかいいながら、ネットで深夜に探し当ててやっと翌日の停電や電車の運行状況がわかること。
もっと防災無線や掲示板を活用すればいいのに、なんて。
食料やガソリンの供給がおぼつかない、停電もある状態で、しばらく帰ってこないつもりでいる、と話した。
最近たまたまテレビを見ていたりで声を聞いていなかった上の子の、自分が電話に出たいと号泣する声がきこえた。
ここまでは普段通りではあったが、半泣き風の声で、なにやらずっとしゃべっていた。
いつもなら、1分としないうちに黙ってしまうのに。
1週間ちょいぶりの父に何か訴えたかったのか、彼女なりのねぎらいなのか。

実家の母とも話した。
何か困ったら兄が救援物資を送ってくれると言ってるらしい。さすがにガソリンは無理だけど。
姉は子どものおむつやトイレットペーパーが手に入らないらしい。オイルショックじゃあるまいし、みんな冷静になれよ。
こちらから言うまで口にはしなかったけど、相方や子どもたちはしばらく帰ってこない方がいいだろうと、母も思っていたらしい。

電話がかかってきた。
こんな時間に誰だよって思ったら、相方がお得意様の地元のお米屋さん。
品薄で店頭に出すものがない状態だけれど、今、お困りじゃないですかって。
そういう心遣いが、すごくうれしかった。





大地震3 [今日のできごと]

全然平穏なんかじゃなかった。(昨日の記事最後参照)

身体を休めるために早めに布団に入ったら、相方からのメールで飛び起きた。
は?こんな時間に停電のこと決めたの!?
しかも一番早いグループで6時台!?
相方から知らされなければ、下手をすれば朝起きたらいきなり電気が使えない状態に直面していたかもしれない。

あわててネットをみても、自分の街が2つのグループにまたがっていて、結局どちらのグループなのかわからない。
もしグループ1だったら、「お宅には平穏に朝飯も晩飯も食う資格はない」と言われているようなものだ。
生活者としての視点が全く感じられなかった。

日曜の夜にこんな重要なことを決める時点で、すでに「無」計画停電であることは明らかだった。
こんな夜中に持ち回りの電話会議で企業活動が止まることなどありえず、たくさんの人々が車での出勤を試みるだろう。
医療の視点からみれば、非常電源で賄える電力には限度があり、救急、緊急検査、緊急手術以外の医療活動が円滑に行われるとは到底思えない。
つまり平常の外来診療や、CT・MRI・内視鏡などの予約検査、まして予定手術まで、行えなくなってしまうのではないかと思った。
病院なら電源のバックアップが得られたとしても、在宅人工呼吸器や在宅酸素の患者の命の保証はないのではないか(今日確認したら、数日はバッテリーがもつらしい)。

こんなことなら自分も広島に逃げてしまいたい!


・・・結局、朝起きたら停電はしていなかった。
ってことはうちはグループ1以外?
かと思ったら停電は見送りとのことだった。
電車は動いていない。車で出勤した。

いつもより少し早く出たはずが、大渋滞。
途中で見かけた職員(徒歩)と、結局病院に着くまでの時間が変わらなかった。
少なくとも今日は平常通りの業務とのことだった。明日以降はわからない。
病棟の廊下や医局の蛍光灯は消えて薄暗かった。かえって照明の付いているフロアが悪目立ちしているぐらいに見えた。
いかに都市生活が原発に依存し、浪費し続けてきたかが、まざまざと感じられる。

外科から、宮城県内の病院の支援にひとり出せないかと打診があったらしい。
足元の業務が回せなくなることと、阪神の時(家屋の倒壊が主だった)と違ってむしろ今回(津波が主)は内科医の出番だということで上司が断ったと後できいた。別のDr.が今日こちらを発った。
なんとも複雑な気分。
行くとしても、相方と子どもたちに会ってから行きたい。
相方が子どもたちの動画をメールに添付して送ってくれた。
すごく癒された。
ただ、今の状態で帰ってきてほしいとは思わない。

相方が買いこんでくれたサ○ウのごはんやレトルトのおかげで、ただちに食糧危機に陥りそうな状況ではない。
今月いっぱいぐらいは、踏ん張るしかないようだ。





大地震2 [今日のできごと]

翌朝、立て続けの緊急地震速報で早めに起きて、早めに出勤することにした。
新潟や長野でも大きな地震が起きている。この連鎖がこれ以上西に南に進んでいかないことを願う。
最寄りの私鉄はまだ運行していないため、車でいくことにした。
雨の日も、雪の日も、風の日も止まらない、地域で一番強いとささやかれる電車がいまだ動かないことが地震の大きさを物語っていると感じた。

土曜の朝、いつもなら道路はガラガラだが、少し混雑していた。
まず実家に行った。実家は食器が割れたくらいで、ものが散乱したりといったことはなかったらしい。
安否確認でもあるけれど、肉親にじかに会いたかったというのが本当のところだった。
口では「これから仕事だから。すぐ行くから」とか言いながら。

出勤途中、いつもなら3000円ぐらいしか入れないところ、ガソリンを満タンにした。
電車が運行を再開していた。復興と呼ぶには大げさだけれど、そういう感じがした。

とくに地震がらみのトラブルはなかったらしく、職場は落ち着いていた。
早く退院したいという方と、逆に家の片づけのために退院が延期になった方と。

津波で数百の命と、生活の場と、その数倍の思い出が、あっという間に飲み込まれていく映像が繰り返し流れている。
人前で涙してしまいそうになる。
今までは、どこかで人ごとだった。
大学時代、海辺近くのマンションの4階に住んでいた。ここならなんとかなるだろうと思っていた。
こんな大津波が襲ってきたら、大学病院の階段を駆け上がって、救助を待つしか生きる道はなかっただろう。

帰宅後、居間の掃除や洗濯をした。
結構疲れた。そういえば昨夜は寝たり起きたりだったんだっけ。
風呂に入って、仮眠をとることにした。
携帯電話はまる1日発信できなかった。

終日電車が平常運行に戻らなかったし、荷物もあるので再び車で出勤した。
地震の絡みかどうかはわからないけれど、CTが使えないぐらいで普段と変わらない当直だった。
あ、インフルエンザ禍だろうがなんだろうが、いつもは現場丸投げの管理職が泊まってた。

朝ご飯を見て唖然とした、というか怒った。
フライドポテト、フライドチキン、紙パックのジュース。
先輩Dr.が「今はどこのコンビニに行ってもおにぎりやサンドイッチが売り切れ状態だからしかたがないんでしょう」と。
思わぬところで受けた影響を甘受して、放っておいても食事が用意されているという事実に感謝することにした。

院長以下管理医師、管理師長、管理事務が何やら会議しているのを横目に、帰宅の途に就いた。

帰りがけに通りかかったガソリンスタンドは、ガソリンが売り切れと表示されていた。

断続的な余震は相変わらずだが、間隔は伸びてきているし、平穏な暮らしに戻りつつある。
断酒記録も、2日で止まった。


2011.03.19.追記 このころ避難袋の中身を確認した。賞味期限切れは一つだけだった。
手回しで充電できるラジオは、充電できず・・・。
回している分には他の機能は使えたけれど、肝心のラジオが使えない。
落ち着いたら買いに行かねば・・・。





大地震1 [今日のできごと]

午後、1例目の手術を終えてとりあえず病棟業務を済ませてしまおうと書類を手にパソコンの前に座った。
ほどなく、大きな地震がきた。
棚のまん前なのでナースステーションから廊下に出ると、壁がギシギシいい始めた。
これはヤバイと思った。
目の前で、コピー機が落下した。
一旦収まったかのようで、またすぐに揺れはじめた。

収まったところで、スタッフが病棟内に散り、ドアを開けてまわり、安否確認する。
呼吸器装着中の患者はおらず、停電、酸素の配管故障や火災はなかった。
カンファレンス室の棚が落ちてテーブルに突っ伏していた。「ついさっきまでそこにいた」とNs.が言う。
ナースステーションには書類が散乱し、冷蔵庫と製氷器、机が数cm移動していた。数人のNs.が倒れないように支えていたらしい。
何から手をつけたものやら。また大きな揺れが来たら元の木阿弥だ。

隣の病棟では作り付けの棚がゆがみ、冷蔵庫が倒れていた。

2例目の手術は執刀直前でストップしているということだった。

幸い院内に負傷者はいないという情報が伝わってきた。
院長や副総師長が病棟や各検査部門、ネットワーク関連部門の状況確認をしている。
何度も強い揺れに襲われたが、屋外に出るのはかえって危険であり、避難誘導はしないということだった。
散らかったままの家をそのままにして夜勤に出勤してきたNs.、インフルエンザで解熱後2日目のDr.や非番のNs.が駆けつけてくれた。

大きな揺れが収まってきたところで、階段を下りた。
救急外来に混乱はなかった。
会議室に院長、副院長、管理師長、管理事務が集まっている。
図書室の棚が倒れて、せっかく整理したばかりの医学雑誌が散乱していた。

医局は本や書類が散乱してまさに足の踏み場がない状態になっていた。
ひとまず相方にメールを入れた。問題なく送れた。
相方と子どもたちが広島に帰っている間のことでよかった。戦力になるどころか、泣き叫んで足を引っ張ることしかできないチビ2人を抱えて途方に暮れていたことだろう。
両親、姉にも安否確認のメールを入れ、ほどなく無事の知らせが届いた。
病棟から続々引き揚げてきた各Dr.が机の整理をはじめた。
地震発生時から医局にいたという副院長のひとりは、ヘルメットを被って、もっぱらテレビ報道に見入っていた。

机が片付いたところで病棟に戻ると、こちらも落ち着きを取り戻しつつあった。
地震がなければとうに終えていたはずの書類やカルテ記載を済ませた。
地震関連の救急搬送はなかった。

一時は院内待機も覚悟したが、その後大きな余震がくることはなかった。
院内のインターネットが使用不能になったので携帯から電車の運行状況を確認するが、何度みても運転再開の見通しは立たないようだった。

結局、後輩が車で送ってくれるというので、ご厚意に甘えさせてもらった。
駐車場に向かう道すがら、1か所だけ塀が倒れていた。
混雑はしていたが、途中でちょっと人助けをした以外には、トラブルなく帰宅することができた。


玄関のドアを開けるのが怖かった。どんなになってるんだろう。
玄関に飾ってあった、父が結婚祝いにつくってくれた額が落ちていた。
机や棚の本やDVD、食器棚の上の料理本が散乱していた。
相方の祖父の絵の額や、子どもの出産祝いのフォトフレームが壊れてしまった。
子ども用のストッパーのおかげで、扉にせき止められた食器が落ちずにすんでいた。
この程度といえばこの程度ですんだ。

相方に電話を入れた。

とりあえず台所をざっと片づけて、ごはんにした。
不測の事態や呼び出しに備えて、ノンアルコールビールにしておいた。
椅子に座っていると、地震なのか、自分が揺れているのかよくわからない。
強い余震はなかったので、机のまわりも片付けて、風呂に入った。

自分の生活を維持するためにここで過ごすしかないけれど、本音のところは心細かった。
夜中も余震や緊急地震速報のメールで何度も起きた。
でも、だんだん感覚が麻痺していって、そのまま横になっていた。





健康について [今日のできごと]

子育てが始まってから、健康的な暮らしになったと思います。
仕事を終えたら世話話をせずにスッと帰宅するようになったし、当直の日でも帰れる日は帰って家族と過ごす時間を持つようになりました。
はじめは子どもが眠ったのを見計らって寝室を抜け出してたけど、そういう抵抗をしなくなってからは夜食を食べなくなりました。おかげで一時+5kgぐらいだった体重が学生の頃より減ってて。
ゆっくり寝られるから翌日の体調がよくて、早寝早起きだから休日もばっちり目覚めて朝からみんなで遊びにいけるし。

・・・里帰りに伴い、寝る時間は遅くなるわ、おかしは食べるわ。
よくないです、一人暮らしは。
と思ってたった今体重計に乗ってきたけど、さらに体重減ってた。それはそれで危険。。
そろそろウサギさん(と言ったら、解説なしで相方は理解してくれました)なので、早く帰ってこないかなぁ、と。


先日、5時間にわたる腹腔鏡下手術をやり遂げました。
得られたものは達成感だけではなく腰痛もでした。
体の向きと、モニターの向きが違う状態が長く続いたので。

腰痛って、つらいっすねぇ。
はじめは寝るとき以外は家でもずっとバンドをして、横になる時間を極力取るようにしていましたが、それも仕事中以外は必要なくなりました。
自分はならないと思ってたけど、年には勝てないなぁ・・。


移植医療についても考えてみたりします。
医療というものは単なる人助けではなくて、natural course、つまり人為的に対処しない場合にたどる生命、生活の転帰、に抵抗するものであり、それが自分の仕事でもあるわけです。
しかし、無制限に抵抗するべきかというと、どこかで線引きは必要です。
端的な例は、終末期患者に人工呼吸、心臓マッサージなどいわゆる延命治療をするかどうか、といったものです。
臓器を人からもらうことを前提とする移植医療には、漠然とした抵抗感がありました。

そう思っていたのですが、いざ自分の子どもの病気が判明すると、思いは容易に宙に浮きました。
受けたほうが良いとされるのであれば、必要な手術はお願いしたいと思いました。
こどもによくなってほしいという気持ちはまったく同じで、ただ、それが本人の体だけで完結する手術なのか、あるいはだれかの臓器があれば完結する手術なのか、それ「だけ」の違いでした。

移植を必要とする子ども、その親にとって、それが必要な手術なのですから。
実際には全くそうではなかったのですが、腎移植を受けることでうちの子が元気でいられるなら、そのための手だてを模索したでしょうから。


先日実家に行ったとき、ドキュメンタリーである人物の半生を振り返り、妻からの手紙あり、でも結局青汁のコマーシャルかよ!という番組を観ました。
父はそうと知って観ていましたが。
胡散臭かったけど、なにをするにも健康であることが大前提、というのは真実だと思います。






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