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新年を迎えて [今日のできごと]

今年も変わらず、新しい1年が始まりました。

年末に「うち」方の親戚大集合。
甥、姪が生まれて、両親、きょうだい3人とその連れ合い、子ども世代7人の総勢15人。
子どもたちは昼寝もせずに大はしゃぎ。

実家を2世帯住宅にする話が具体化していて、そうすると遺産の分配はどうするとか。
そうそう全員集まれないだけにそんな疲れる話題もあったり。

連日わーわー、きゃーきゃー、えーんえーんで、楽しかったけど、疲れました。
自分は仕事でいなかったりしたけど、ずっと付き合ってくれた両親や、嫌がらずに親戚付き合いしてくれる相方はさぞかしお疲れと思います。
本当にありがとう。
(現に今自分がPCに向かっていられるのは、相方も子どもたちも「果てて」昼寝しているからです)


今年も変わらず、実家でおせちを食べて、初詣して、お墓参りして、お昼にお餅を食べて帰ってきました。

去年だって、今年も平穏な1年でありますように、みんなが健やかでありますように、ってみんなが願ったはずなのに。
神も仏もないんじゃないかと思いつつも、やっぱり願わずにはいられません。

スーパーの照明が薄暗いままだったり、本当に放射能は大丈夫なのかと心配したり、子どものことを考えると農作物の産地に目が行かざるをえなかったりくらいで、生活の中で震災を強く意識することは減ってはいます。
でも、折に触れて、たまたま家族と離れていてすごく心細かったことや、テレビ画面を直視できなかったこと、明日の通勤手段を心配しなければならなかったこと、ペットボトルの水が1本しか買えなかったこと、家族が帰ってくる日にお好み焼きの材料をカートいっぱいに買ったうれしさなどなど思い出します。

今年も、これからも、当たり前のようなことを大切にして、1日1日を暮らしていきたいと思います。





七五三 [今日のできごと]

異動予定を詰めたり、週1日研修に出ていたりで、もううしばらく前のことになりますが。


先日は娘の術後1年半の受診でした。
例によって市街地で遊んで、前泊して。
今となっては、思いがけず何度も行くことになった思い出の街です。
小路に入って、坂を登ると宿泊施設、そして病院。
病院に近づくだけで、たくさんの家族の願いをぐっと感じて切ない気持ちになります。

宿泊施設には、主に長期入院の患児のお母さんたちが寝泊まりしています。
うちは患者といえども至って元気。ドタドタ歩くし、元気に遊ぶし、申し訳なかったです。
次回からは通いかホテルかな。

検査は問題なし。
遠方なので、次回は小学校に上がる前で大丈夫でしょう、とのこと。

治療方針や予後がわからず不安で涙したこと、方針が決まってホッとしたこと、長時間の手術に本人も親もがんばったこと、忘れえない記憶です。
本当にお世話になっているDr.に感謝しています。


娘が七五三を迎えました。ってこれも1ケ月以上前のことですが。

申し込むのが少し遅めだったので、午前中最後の組でお祓いを受けることになりました。
前までの組はなんとか入りきるくらいたくさんいたのが、遅かったおかげで神殿に入ったのはふた家族のみ。
神主さんものんびりと時間を割いて下さって、お祈りすることができました。
これまで育ってきたことに感謝し、これからも健やかに成長することを祈るというのが、そもそものところだそうです。って言うまでもないことでしょうが。
受診から間もなかったこともあって、この日を迎えられたことに感激、深く感謝しています。





お呼ばれの結婚式 [今日のできごと]

先日、職場の先輩に結婚式に招待していただきました。
ちょっと久しぶりのお呼ばれ。

おふたりの慣れ染めにちょっと自分自身の接点があったり、彼ららしいお付き合いのエピソードをきいたりとか。
ご家族とも少しお付き合いがあるので、そういう意味でも感慨がありました。

もちろん心からお祝いしているのですが、
式の準備をしながらたくさんの人への感謝の思いを深くしたことや、
わが家も学生時代にいっぱいドライブしたり、美味しいもの食べに行ったり、就職してからはゴス○ラーズの「新大阪」よろしく東海道~山陽新幹線のいろんな停車駅で待ち合わせたりしたなぁ、
なんてことを思い出したりなんぞしていました。

同席した職場の事務さんにきいてみたら、「うちは他のうちに比べるとここがまともだ」って思う機会らしい。

ご祝儀って、美味しいごはん+引き出物+ちょっと物思いにふけるための代金かな、なんて思ったりしたけど、他の方はどんなこと考えるんでしょうか。





きょうだい [続 新しい家族]

おんなじように育ててるはずなのに、それぞれに性格は違うものなのですね。
比較してはいけないと知りつつも、上の子のときはこうだったけど下の子は、とか。

2歳と1歳が一緒にぐるぐる回っていると、たどたどしく、より童顔な1歳のほうが可愛くみえてしまう。
なるほど、末っ子は可愛がられるわけだ。

でもいいことばかりではない。
上の子にしてみれば私のものは私のもの、弟のものも私のもの。
弟が使っているとそれで遊びたくて、奪って、泣かせる。
相方(長女)曰く、私も弟にきっと悪いことしてたんだろうな、って。

上の子はスプーンをおでこに運んだりしてたけど、下の子はわりとスムーズに口に運べた。
一方で、ごはんが袖につくと、上の子はなくなるまでそれを摘んで食べてたけど、下の子は前腕じゅうにべったりついててもお構いなし。
気にせずその手を振りまわして床に飛ばすから掃除が大変。映画で泥まみれのベートーベン(犬)が寝室で体をブルブルするシーンのお父さんの気分。

上の子がわりと自分になついてるのは、下の子のマザコンっぷりに手が離せないおかげなのかもって思えてきた。
当直前の仮眠中に携帯がなったとき、子どものいたずら電話かと思いきや「(上の子が筆者を呼んで)30分泣いて寝ないから」って。愛いやつめ。
そういえば早寝の習慣がついたのも(自分が不在の時を除いて)家族全員集合で布団に入らないと上の子が呼びに来るからだったっけ。
ソファーの背もたれに、モノレールのように這いつくばったり、立ち上がったりするようになりました。
成長を感じるとともに、自分も小さいころおじいちゃんちでやってたなぁ、って懐かしくなります。

下の子も最近やっと母がいなくても遊べるようになってきたなぁ。
自分のところにニコニコテケテケ寄ってくるようになった。
今日は記念すべき、自ら一緒に風呂に入るとせがんできた日。
震災前以来約8カ月ぶりに泣かれることなく過ごせました。
まあ、機嫌が悪いときはもっぱら母の出番ですが。





オーベン終了 [おしごと]

カンファレンスを終えてそれぞれ持ち場に消えていくところ、呼び止められた。
「今後外部に研修に出るにあたって大変でしょうし、半年という区切りだから、後期研修医のオーベンはこれで終わり、お疲れさま」と。
事前の面接・打診などなく、スタッフみんなの前でもなく、自分個人に、(自分としては)唐突に。
彼女が抑うつ的になっているこのごろ、体よくクビになったな、そしてこれは職務命令だ、と即座に思った。

考えてみると問題点が出てくる出てくる。
今までは頼まれなくてもカルテチェックして、画像やオーダーのチェックして、方針の相談、修正をしてたけど、半人前の医療レベルをだれが保証する?
今まで医局事務からワンクッションおいて彼女に当直やらを打診してたのはどうする?
外科の中で領域を絞って教育するにしても、どんなふうに?
俺にこそっと「あんたクビ(被害妄想込み)」って言ったけど、外科のスタッフに限らず、医局事務も、病棟看護師も、手術室看護師も俺のことをオーベンだと思ってるのを、どう修正する?
っていうか本人はこのこと知ってるわけ??


業務を軽減するかとか、少し前から話したいことはあったので、時間があいたタイミングで「面談」した。
普段は叱ってばかりだけど、今回は聞き役にまわる、否定的な話はしない、というスタンスで。
のっけから「センセーって言い方きついですよね」と言われ、「前も言ったけどそれはよーくわかってるから」と返すところから始まり。
それでも、厳しさと優しさの使い分けは、多少はわかってもらっているつもり。
その場でいきなり受け持ち患者数や疾患などの制限について具体的な条件を引き出すことはできないし、現実に自分に与えられた権限は限られるから、つらい時にはつらいって言うんだよ、って言うにとどまらざるをえないけど。
でもまぁ、彼女自身のこと、家族のこと、あの先生にこう言われたけど私はどうすればいいのか、など、いろいろききだすことはできた。


で、医局事務とのワンクッションになっていたことは認識されていなかったようだが。
今後の検査や治療の方針は基本的に自分で考えて、必要であれば回診とかでアドバイスをもらうっていう形に変えていく?ってきいたら、
「それでもいいと思いますか?」とか「それってセンセー(筆者のこと)がしてくれるんじゃないんですか?」とか。
・・・やっぱり本人には「俺はクビにしたよ~」って言ってないんじゃん・・・。
「自分でがんばってみます」という結論になったのでホッとはしたけど。もしまだ面倒見てくれって言われてしまったら職務命令に従えないことになるから。


人心をつかめない上司と、覚えがいいとはいえない部下との間に挟まれるのはなかなかつらいなぁ。
初期研修の間は1~3か月ごとにお客さん扱いされて、特段の注意をされなかったのかもしれないけれど、
ここでは、社会人として、医者として、必要だからいろんなことにつっこまれるんだ、と解釈してほしいな。
(遅刻するな、書類は遅滞なく出せ、高Kの人に3号液使い続けたら死んじゃうよ、ちゃっちゃと検査予定組まないとこの人いつまでも退院できないよ、っていう次元から始まった)
なんてことを考えた1日だった。





1歳 [続 新しい家族]

息子も無事1歳の誕生日を迎えました。
姉のまねっこをして、バイバーイって言いながら手を振ります。
笑顔がかわいいです。
いつの間にかいろいろできるようになってます。ブロックを積んだり、平地なら何歩でも歩けるようになってたり。
みる対象がひとりだけ、しかもパイオニアのときと、ふたりいて、姉がしている仕草や、誉められてるところ、叱られてるところをみてるのとは違うと思うけど。
ゼコゼコやカイカイにもめげずに笑顔を振りまいてます。

ただ、根っからのマザコンです。
母の姿が見えなくなると大泣き。いまだに息子とふたりでは風呂に入れません。
そしてなかなかのデストロイヤーです。
娘のときに買ったボタンを押すと童謡が流れる絵本は、息子が歯固めにして、いつの間にか表紙を取り去っていました。

プレゼントはブロックと絵本。
DSCF4314.jpg
読んでって言ってきたのはもっぱら娘のほうですが。

娘の七五三を兼ねて某子ども写真館へ。
着替えるところまでは順調だったけど、いざ撮影が始まるとひとりで座っていることができず。
なんとか息子の写真を撮り終えて、家族写真撮って、娘の七五三撮って、きょうだいふたりになったら大苦戦。
…もう限界でしょ…ということで終了。
日を改めて撮影再開ということで、本日の写真選びやお会計はなし。

ちなみに、某子ども写真館を最初に訪れたのは娘のお宮参りのとき。
プリントしない写真のデータはすべて消却、という言葉に乗せられて、いっぱい頼んでいっぱいお金を払いました。
次からは大きい写真は厳選したもの数枚、消えてしまうには惜しいものは小さい写真で頼むことにしました。
それでも結構な出費にはなるんですけど。

例によって2歳以上はケーキ、主役はクリームをつけたホットケーキ。

この直後にみずぼうそうにかかるわ、台風は来るわでしたが、また1年、すくすくと育って、少々の母不在では泣かなくなりますように。





原発 猛暑 こども

去年までは、風呂上がりに汗をかかないようにエアコンを入れていた。
今年は、良くも悪くも気密性のいいマンションで、風呂上がり早々に汗をふきふきしている。

風呂上がりに汗をかくのは異常気象や家の構造のせいなんだろうか、
そんなことさえも、よくわからない。
子どもたちは、この暑い最中でも抱っこを求めて駆け寄ってくる。
家の中を走り回る。
自分が「よくわからない」と思うのも道理なんだろう、きっと。

原発廃止なんて現実的じゃない、
そう思っていた。
今まで原発城下町はいい思いをしてきたんだから、とか。

数百km離れた場所からも検出される放射性物質、
一企業ではとても払いきれず、利用者に転嫁される気の遠くなるような賠償金。
利便性を求めてつくった大規模発電ロボットは、欠陥品だった。
人間の生活を破壊し、まして先進国を謳い、地震国である日本で自国の技術では暴走を止められないロボットなんて、つくる前提からしておかしい。
いかに自分の暮らしが快適過ぎたか、
ひとたび現実のものとなった事故が永年に渡って与える子どもたちへの影響、
震災から4ヶ月、次々に明るみに出る事態の連鎖に、原発に対する考えも変わっていかざるをえなかった。

昔から夏ってこんなに暑かったんだっけ、って親にきいてみた。
7月後半からお盆までは暑かったけど、今のように丸3ヶ月も、朝から晩まで暑かったことなんてなかった、って。
(記事を書きあげている今は、たまたま涼しいけれど)
そうだったよね。

現代を生きる我々の生活も維持しなければならないけれど、
子どもたちが、放射線も、日射病も、紫外線も、気にせず元気一杯外を走り回れる環境を残すことをもっと大切にしたい。
外に漏れさえしなければ「クリーンエネルギー」である原発。
二酸化炭素を吐き出す火力発電。
供給が不安定な自然のエネルギー。
失業者を出さずに、原発をなくしていくことは可能なんだろうか。
果たして俺は何を選んで、どんな暮らしをすればいいんだろうか。





当たり前のような日常 [今日のできごと]

逆単身赴任がとうとう終結。

迎えに行く前に、スーパーで買い物を済ませておくことにした。
出産から帰ってきたときにもそんなことしなかったけど。平日だったからかもしれない。

とくに何を買うと決めていたわけではないけれど、とりあえずそんなに手間がかからないもの・・・
お好み焼きの材料と、翌日の朝ご飯を買うことにした。
野菜、肉、卵を買うのがすごく久しぶり。(最近は仕事帰りでもヨーグルトが買えるようになった。)
厚切り、というよりブロックのベーコンも抜かりなく。

今やペットボトルの水は山のように積んであった。
一応1箱買った。
必要ないとは思うけど、もしものときにあわてずに済むように。

一度にこんなにたくさん買うのは本当に久しぶり。
当たり前のように一家4人分の買い物ができることの喜びを、しみじみと感じた。

(ブログ記事としてはいまさらながらに)
亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。
また被災された方々、避難生活を余儀なくされる方々にはお見舞い申し上げます。
そして、原発の最前線で作業を続けている方々をはじめ、復興、復旧に尽力されているすべての方々に感謝します。


・・・とここまでかいて迎えに行った。
3週間ぶりの再会。娘興奮。
相方的には東京駅が暗いらしかったが、近所のスーパーに比べればかなりマシ。

我が家到着。
抱っこ終了とともに早速泣く息子。
自分のおもちゃに再会して声をあげる娘。
コンポのラックやゴミ箱に手をかける息子。
絵本を読むようにせがむ娘。
感慨に浸る間なんてちっともありやしなかった。

とりあえずお茶にして、近所のディスカウントストアへ。
俺としたことが、焼きそばを買い忘れたことに気づいた。
風呂入って、チーズつまみながら一杯飲んで、お好み焼きとベーコン焼いて。

当たり前のような日常を、大切に、笑って過ごしたい。






のり巻き [今日のできごと]

物心ついたころから、父は家で飲むと、「母さん、すだれと、おかかと、お下地(醤油)もってきて」と言って、のり巻きをつくってくれた。
喜々として、みんなでわけて食べた。

思春期、「いらない」とか、「なんで自分で(モノを)取りに行かないの?」とか、言ってみせた。
それはそれで本心ではあったのだけれど。

自分が中学から大学にかけての8年ほど、父はずっと単身赴任だった。
2,3週間に1度は帰ってきてくれる、今思えば、まめで、家族思いの父だった。
それでも、自分はおんなじように接した。
あるときは1か月ぐらいろくに口もきかなかった。
「たまに帰ってきた時ぐらい、甘えたいんだよ」って、言わせてしまった。
そのときは自分が正しいとしか思わなかったけど。

一度は奥さんに家事を任せた50前後のオジサンが、単身赴任で、掃除も、洗濯も、食事の準備も、全部自分でこなさなければならない、まして職場で労災があったり、不景気の影響で人員の問題があったりという話をきいていた。
振り返れば、そのときうちの父はどれだけの苦労をしていたのだろうと思う。
そりゃあ、糖尿病のコントロールもつかなければ、狭心症で心臓にステントも入るわけだ。

覚えたての知識で父に「それって狭心症じゃないの?」なんて受診を促したら、心カテ中にプラークがとんで一時ショック状態、IABPが入った状態でCCUで面会した。
もしあそこで父を亡くしていたら、自分の軽口を一生悔いて生きていくことになっただろう。


逆単身赴任状態になってたった1ヶ月半、食生活の乱れか、子どもがいないせいで夜更かしなためか、吹き出物が増えてきた。
今週末の夕飯は実家にお世話になることにした。
父が、いつものように「母さん、すだれと・・・」。
久々ののり巻きは、ご飯が多すぎて、納豆があふれだして、うまく巻けていなくて、ぐずぐずに崩れながら食べた。
父が覚えているかどうかはともかくとして、あのころのことを謝りたいと思ったけれど、結局言葉にはできなかった。
「のり巻きは、飲まない人がつくったらその人の手間が増えるだけ。飲む人がつくればいい。」

これも我が家で受け継ぐ文化のひとつかな。
少なくとも思春期までは、子どもたちも喜んで食べるはずだし。

2011.10.21.追記 院長にご馳走になった寿司屋さんで海苔をお土産にいただいて、わが家でものり巻き始めました。
娘はわざとごはんを残して「コロコロ」「コロコロ」って催促します。
楽しいね。





子ども手当廃止は単純増税(再掲) [時事ネタ]

2011.02.08.の記事を再アップ。



某ポータルサイトをみると
子ども手当なんて廃止!
という意見が少なからず見受けられるのですが、
冗談じゃありません。

1月分の給与明細から、私の(税制上の)扶養家族は一気に2人減りました。
15才以下の年少扶養控除が廃止になったからです。
増税です。

でもこのままでは最悪子ども手当そのものなくなってしまいかねない情勢です。

子育て支援のはずが、むしろ子育て世代の首を絞めかねません。
(我が家だけの話ではありません。医者がそんなチンケなこと言うな、なんて言うことなかれ。)

政権の段取りの悪さはともかくとして、せめて増税分の手当を出すことには反対しないでいただきたいと思っています。

2011.03.03.追記
子ども手当 廃止 増税 といったフレーズで検索してきてくださる方が少なくありません。
該当する方はいーっぱいいるはずなんです。
賛同いただけるなら、何らかの形で表明していただければ・・・。

2011.04.15.追記
先日、実家でうちの税制上の扶養家族って何人だと思う?ってきいてみました。
当然3人だと思っていました。専業主婦1人+乳幼児2人。
違うんだよ!っていうと驚いていました。
そして子ども手当なんていらないって思われていました。
政治家も、マスコミも、年少扶養控除はすでに廃止されていて、それが恒久法であることに表だって触れようとはしない。
与党は、年少扶養控除を廃止した手前子ども手当は廃止にできない、とは言わない。扶養控除は廃止のまま、子ども手当も廃止にしたら子育て世代からの票をまるまる捨てることになるでしょうね。
野党も、児童手当(所得制限付き)復活なんていって、結局それって子育て家庭の増税分で払うわけでしょ?
震災復興のための増税を拒むつもりはさらさらない。
でも、子育て世代を狙い撃ちにするのはあまりに不公平だ。





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